被爆70年、海を渡った《原爆の図》

  原爆の図丸木美術館学芸員 岡村幸宣

 

2015年夏、丸木位里・丸木俊夫妻の共同制作《原爆の図》が、米国で公開された。

敗戦後、いち早く原爆被害を伝えた歴史的作品である第1部《幽霊》と第2部《火》。ビキニ事件後の原水爆反対運動を描いた第10部《署名》。鎮魂を主題にした第12部《とうろう流し》。そして、被爆した米兵を日本の民衆が虐殺する第13部《米兵捕虜の死》、朝鮮人徴用工の被爆死を描いた第14部《からす》という戦争の加害問題に触れた作品の6点である。

 

 

被爆70年の夏に首都で原爆展を開催するという話題を集めたワシントンD.C.のアメリカン大学展は、6月13日から8月16日までの会期で行われた。日本のメディアは大きくニュースとして扱い、海外ではAP通信などが各国に記事を配信し29ヵ国で取り上げられた。

20年前に原爆展が中止になったスミソニアン航空宇宙博物館の元職員は、「このような素晴らしい作品を見るのは初めてだ」と感想を語った。中東移民の画家は、「米国に20年以上住んで、今日初めて原爆を知った。なぜこの国にはホロコースト博物館があるのに、原爆博物館はない?」と憤った。アフリカ系米国人の男性は、「人種差別に苦しんだ私たちの先祖の歴史を思い起こす」と話した。会期中には多くの賛同の声が寄せられた一方、数は少ないが「嘘にまみれた展覧会をするとは恥を知れ!」という批判の電話もあったという。

初日の会場には、原爆を積んだ米軍爆撃機B29エノラ・ゲイが飛び立ったテニアン島で通信兵をしていたという94歳の男性が現れた。彼は、《米兵捕虜の死》の前で崩れるように腰を下ろして、頭を抱えた。取材陣が彼に、原爆投下を正しいと思うかと問うと、「私もこの絵のようになっていたかもしれない。日本は中国で何をした?」と苛立つように答えた。

その夜、疲れて帰宅したであろう老人は、翌日の午前中にも再び姿を見せた。そして前夜とは一転して静かな会場で、じっくり絵を見続けた。その後ろ姿は、少なくとも「こんなものは見るに値しない」と反発する退役軍人のイメージとはほど遠く、声をかけるのがためらわれた。彼がこの日、広島のテレビ局の取材を受けて、穏やかな表情で「戦争なんて必要ないものさ」と答えていたことは、後に知った。

 

9月11日から10月18日までは、ボストン大学で展覧会が開かれた。若いディレクターのジョシュ・バクノは、一部の観客の反発があるかもしれないと話したところ、「これだけ世界が小さくなって、人が自由に交流する時代に、自分の国の見解だけにこだわるなんて、話が通らないよね」と明るく応えた。

地元紙『ボストン・グローブ』は芸術文化欄に展覧会評を掲載した。原爆投下の是非を論じるというより、観る者を惹きこみ、自身の問題として考えさせる大画面の絵の力や、凄惨な光景の中にも希望が込められている点を評価する内容だった。

《原爆の図》の美術評が新聞に掲載される機会は、日本でも決して多くはない。米国内で美術作品として共感を呼ぶ評価を引き出したことは、重要な成果だった。

 

最後の展覧会は、11月17日から12月20日で、ニューヨークのブルックリンにある、南北戦争時代の煉瓦造りの鉄工所を改装したパイオニア・ワークスという施設で行われた。

再開発の進むブルックリンは、いずれニューヨークのアートの中心になると期待されている地域で、パイオニア・ワークスも、若い世代が中心になって活発な活動を行っている。三階まで吹き抜けのスペースはギャラリーとして使われ、2階と3階には芸術家や科学者の研究室が入り、活気のあるコミュニティを作っている。《原爆の図》を展示してみると、広い空間に良く調和し、日没後は照明が絵画を浮き上がらせ、幻想的な雰囲気になった。オープニングでは、米国で高い評価を受けるダンサーの尾竹永子さんが絵の前で踊った。

開幕直前、パリで同時襲撃事件が発生したという知らせが伝わってきた。窓の外には、ブルックリン橋の先にウォール街の摩天楼が見える。そこには新築されたワールド・トレード・センターがひときわ高くそびえていた。この「原爆の図展」は、世界を揺るがす暴力の連鎖の根源に隣接しているのかもしれない、と思った。炎の中でもがく人間群像は、今、世界のどこかで苦しんでいる人の姿に重なって見えた。

《原爆の図》を、政治的背景から切り離して見ることは難しい。その成立過程も含めて、時代の社会背景を否応なく背負ってしまう絵画なのだ。けれども一方で、絵の前に立つ人には、国家や人種、政治的信条などの線を引くのではなく、そうした社会の軛から自由になって、ただひとつの命として、無心で対峙してほしいとも思う。

肝心なのは、絵画によって引き出される想像力で、私たちが日常から飛び立つこと、そして固定観念を突き抜けていくことだ。芸術がもたらす想像力は、人間の心を螺旋状に揺さぶりながら、世界に対する新たな視界を拓き、より深い思考へといざなっていく。