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KOREA ART NOW Ⅱ‐2015

日韓美術交流展2015京都
日韓美術交流展2015京都

日韓美術交流展2015京都

(編集:Kimura)

主催:JAES 後援:公益財団法人京都国際交流会館/京都アートカウンシル

 

9月21日~27日連休の観光客で一杯の京都で実施された。2013・14と二年連続で韓国公州で開催された(2014年は作品のみの交流)交流展がようやく京都アートカウンシルの協力で2015年9月に京都国際交流会館で実現した。国家間の関係が冷え切った中、金明泰・林 立・李忠雨の3氏が急遽来日。作品のみの交流から人的交流も実現できて、盛り上がった国際交流となった。


作品も皆さん忙しい中力作が出品され、「京都新聞」「京都民報」など「芸術が心の橋渡し」などと温かい評価をしてくれた。NPO「じゃるほ」のギャラリーで開催していた朝鮮学校の美術の先生の展覧会とも交流があり、また同じ「じゃるほ」の宿舎に6人の東京からのJAESメンバーが泊めていただいた。大原散策や近代美術館の「栗木達介展」など韓国の作家も満足して帰国された。JAES:http://www.nihonbijyutukai.com/home/jaes.html にその日本美術会との関係や、京都展の内容、画像なども多く掲載してある。


Global Nomadic Art Project – Korea- Ⅱ2015

グローバル ノバディック アート プロジェクト -GNAP- に参加して

 

ノバディック(遊牧民・放浪者)の意味だが、このYATOOのプロジェクトは、国際的な展開を意図する大きな取組なのだ。YATOO(野投)は毎年四季に自然美術ワークショップを実施してきたのだが、錦江自然美術ビエンナーレを国際的に開催、その前から国際展を組織してきたわけで、そうした中で関係を強化してきたインドやイランや南アフリカのグループと連携して、地球規模の自然美術ワークショップを組織しようとしている。(ヨーロッパはランドアートと言う)

 

もちろんビエンナーレを中心にして、一年中計画的に行われている、アートインレディデンス(年間5人のアーチストがウォンコルのネーチャーアートハウスに滞在し制作・発表をする)子供の色々な自然美術教室、体験教室、学生の発表、地域のアジョマ―達とアーチストの食文化の交流、その他にも色々やっている。職員も若いスタッフが専門別に雇われている。したがって、それらの給与から、施設の維持管理費、プロジェクトの予算まで、国からの助成金・自治体からの助成・あとはギャラリーでの作品販売などの収入で賄われていると思われる。民間の美術展の実行委員会からそのような経営事業体(公益法人だと思うが)にまで成長した例を他に知らないので、大変興味深い。

 

8月10日から10日を大型バスで江原道(カウォンド)方面を回る、2・3泊を民宿のようなところに泊まりながら、河原などで自然素材を使って創作し店開き(ワークショップ)するわけである。「奥の細道」(芭蕉の有名な俳句集)を思い出して欲しい、彼は旅をしながら俳句を作ったわけだが、このノマディックアートも同じような事になる。自然素材でその場で作品を作っていくわけなのだ。夜は参加作家の自作の紹介を画像を使いながらプレゼンする。そうすることでお互いの理解を深め友情も育むという事なのだ。今回は韓国で二回目となり、韓国16名、イラン1名、インド2名、フランス1名、南アフリカ1名、日本1名(私)、アメリカ1名、中国2名の参加で旅をして制作した。公州へ帰るとまた10日ほどウォンコルに泊まりながら、大きなボックスに作品を制作し、その箱は林に点在させて展示会を開く。それが今回のプロジェクトの全容であった。

 

インド・南アフリカと国際的なアート運動を展開は来年にかけて準備を進めている。YATOOは自然美術(ハングルではチャヤンミスルと言う)の振興と普及という目的を持つが、世界的にはそういったネーチャーアート系の国際的なビエンナーレを唯一開催する団体として、海外のグループ、国内のグループを啓発し、組織しようという意思も感じた取り組みだった。成果はカタログにまとめられる。

 


Shin Hyun Kook (申鉉国)という画家を訪ねる

鶏龍山の甲寺の近くにアトリエを持つシンハンコクという年配の画家を訪ねた。YATOOのリーウンウの案内で急な訪問に先生は快く迎えてくれた。前に韓日美術交流のパーティーで会ったことがあった。齢は80と聞く。

リーウンウが彼は権力とは無縁で、考え方もとてもポジティブで、尊敬していると言っていた。アトリエでしばらく世間話をハングルでしていたが実に掛け合いが音楽的で気持ちよく聞いていた。私とインドのキランの二人は内容は解らないが、気持ち良かった。その後地元のミクラジ(どじょう)鍋をいただいた。運転のリー氏は少し飲み過ぎたようで、運転代行の会社から運転手を呼んで先生を送って、公州の宿に帰った。

         

 シンハンコクさんは80才だが若さを感じた、広いアトリエには大きな作品から小品まで沢山あった。腕にテーピングされていたが、描きすぎで痛めたのだろう。広い敷地には伝統的な韓屋のゲストハウスもあって、今度泊まりに来るときにはオンドルを温めるよ!と言われていた。