イタリア・フランス美術教育散歩

アール・アンファンタン(フランス)
アール・アンファンタン(フランス)

菅沼嘉弘 (京都教育大学名誉教授)

☆ 1960~70年代は、民教連(民間教育運動)が盛んな 時代で、美術教育だけでも「新しい絵の会」、「教育版画協会」、「美術教育を進める会」の3つの会があり、互いに連携しあいながら美術教育の発展のために がんばってきました。新しい教材を考案したり、学びあうことがごく当たりまえとなり、その気持ちは世界に向かって広がるのも当然のことでした。そんなある時、イタリアのボローニアという町で素晴らしい美術教育が実践されているという話が伝わってきました。「美術教育を進める会」の仲間は、それにすぐ反応し、ボローニャを訪ねることになったのです。現地との連絡は旅行社のF社、通訳はイタリア語ペラペラのK氏、参加者25名で、出発は1977年3月末のことでした。

ボローニャでの研修交流 保護者たちと
ボローニャでの研修交流 保護者たちと

(1)ボローニャでの研究交流

世界最古の大学都市ボローニアは、街並みの美しい落ち着いた街でした。バスから外を眺めていると、所どころに歓迎アーチが立てられ、「日本の先生たち、ボローニアにようこそ」とあり、町ぐるみで私たちを歓迎してくれているのが分かります。

会場の公民館には、すでにたくさんの教員や市民が集まり、始めはまず、親交を深めるための楽しいパーティーでした。イタリア民謡、日本の子どもの歌などを合唱したり、私たちが手みやげにもって行った「手づくりの凧」、「コマ」、「鳩笛」などは特に気に入いられたようでした。子どもたちが図工の時間に作った作品だと話すと、ボローニャの人たちは大きくうなずき、ブラボーを繰り返してくれました。なぜ今手仕事なのかの意味がわかってくれたのです。ワインを飲み交わしながの楽しい夕べでした。

 

二日目の会場はボローニア大学の近くにある幼稚園で、私たちが着いた時にはすでにアトリエでは4,5歳児たちが絵の制作中でした。エプロン姿でイーゼルの前に立ち、パレットで絵の具をまぜたり、腕組みしながら考えたりしている姿がとても愛らしく、かわいく見えました。その後の研究会では、私はスライドを使って「作って遊ぶ展覧会」についての実践報告をさせてもらいました。展覧会と言っても単なる作品展ではなく、体育館での作品展示のほかに、日曜日の半日を使い、校庭いっぱいに親子が広がって、手作り遊びする祭りのことです。校庭の真ん中に立ち上がる「野焼き」の炎を囲んでの「手作りの祭典」です。

ベトナム戦争が起こり、日本の経済が膨張し、文化は急速にアメリカナイズされていく情況にあるなかで、私のなかではそれへの無言の抵抗でした。研究討議は熱心な議論で深まり、ボローニャの人々が歴史の中で築いてきた自治の心と、連帯の喜びを分かち合うことができた一日でした。

ボローニャでの研修交流 子ども達の創作ダンス
ボローニャでの研修交流 子ども達の創作ダンス

(2)南フランス「フレネ学校」へ

1987年3月末、よく晴れた日でした。ニースから1時間ほどバスに乗り,バンスという町に着きました。白い岩肌が遠くに見わたせる南フランス特有の丘陵地帯で、松や糸杉、オリーブなどの緑に覆われ、赤い屋根瓦と白壁、ミモザの黄色の花びらも紺碧の空に美しく映えていました。

この旅は、日本のフレネ教育研究会の会員20名の参加でした。校門のまえのゆるい坂道を登っていくと、こじんまりした校舎が三つ、四つと並び、敷地のまわりには畑や林が広がる、のどかな農園といった感じでした。

ここが1930年ころ、セレスタン・フレネとその妻エリーズによって建てられ、現在はその娘ヴァンス・フレネが経営する小さな学校です。子どもたちの数は、3~5歳、6~7歳、8~11歳 合わせて60人。先生は、カルメン、ブリジッド、ミレーユの3人の女性の先生でした。

「生活の教育」・「活版印刷」・「学校間通信」などが多くの人々に知られていて、世界中から見学者も多いと聞いています。私は、手仕事と絵画表現の分野に重点をおいて見学することにしました。

フレネ学校の粘土制作(フランス)
フレネ学校の粘土制作(フランス)

屋外の明るいひざしのもとで粘土あそびに熱中している子どもたちたちがいました。年齢はまちまちで3歳児から年長の5歳児まで、さまざまな粘土あそびにたわむれています。年少児の子たちは、固まった粘土を木槌でたたいて粉にし、水をかけて手でこねまわすあそびに熱中し、高学年は人形や動物の形をつくる子もいます。

 

フレネは生前、土と火に関する哲学的な考察を深めていたようで、『テキスト(B・T)』(学習資料)の1冊では、人間の暮らしと火との関わりについての特集もあります。そこには村の陶工職人と子どもたちが一緒に土器を作り、野焼きや登り窯で作品を焼成する過程も示されています。

私自身が小学校の図工で土器つくりや野焼きの実践に取り組んでいましたので、非常に興味ふかく感じたわけです。

 

描画活動については、一人の女性教師の次の発言が興味を引き、後あとも私の中で大きくふくらんで行く課題となりました。それは、描画の定義についてです。フレネ教育では、描画を「デッサン」(素描)と「パンチュール」(絵画)という二つの概念に区別してとらえています。

「デッサン」は、スケッチのように対象をありのままに描くことで、「パンチュール」は、空想・ファンタジーなど、心の想いを表現する活動であり、それこそが純粋な絵画的表現であると言い切りました。

そのわけは、フレネの次の言葉「絵画の純粋な機能は、心の内面に働きかけ、揺り動かし、高揚させていく力にある」(『手仕事を学校へ』フレネ著・宮ヶ谷徳三訳 黎明書房)と述べています。

また、それを受けとめる教師には「絵や版画を判断するためには、教師は新しい感性豊かな魂になり、ぎこちないエンピツの線の奥に見える人格、そこに表現されている一瞬の感覚、そこに表れ、高揚する存在を感じとらねばならない」とも書いています(同書)。

日本の美術教育は、昔も今も「作品主義」ともいわれ、表現の主体性を子どもから奪ってしまっていることが多い、つまり教科書がそうなっているのです。それが延々と続いてきた日本の図工・美術の普通の授業なのです。

 

3日間のフレネ学校の訪問を終え、私たち一行はそのあと香水の生産で知られるグラースの一般の小学校、そしてパリにもどりもう1つの公立小学校も参観して日本に帰ってきました。帰りの飛行機は宮ヶ谷徳三氏(神戸大教授.フランス文学)と二人だけになり、機内での会話の多くは、フレネ教育と日本の美術教育の現状をめぐってのことでした。特に「デッサン」と「パンチュール」の概念の違いは、教育現場での絵の指導に関わる基本的な問題でもあるので、私の大きな課題としてのこりました。ルソーの研究者である宮ヶ谷さんからそこで有意義な見解を、じっくりと聞かせていただいたことは、このたびのもう一つの成果でした。

☆ 時は流れて2001年、再びイタリアの幼児教育が日本で大きな話題となりました。東京のワタリウム美術館で、レッジョ・エミリア市の子どもたちの作品展が開催されました。それは「子どもたちの100の言葉」展で、佐藤学氏(元東京大学大学院教授)らによる、画期的な取り組みでした。当時、東京家政大の教員だった私は、保育科の学生たちを連れ、何度も見にいきました。会場には、子どもたちの活動の資料や作品がいっぱいに展示されていて、湧き躍るエネルギーが伝わってきます。

ネコやシマウマ、カタツムリなどの絵、街路に降る雨のしずく、路地の水溜りに映る風景まで造形の題材にしてしまう子どもたちの旺盛なイマジネーションに驚かされます。子どもたちの心おどる知的探索が、絵や粘土や立体構成に、造形の新鮮なことばを生み出しているのです。そこには想像力と活気にあふれる子どもたちの生活が生きづいています。ローリス・ マラグッツィ氏(哲学者・詩人・教育学者)が、レッジョ・ エミリア市のこの運動の理論的指導者だと聞きました。認識やコミュニケーションの言語はすべて相互関係で成り立ち、経験を通して生まれ発達する」と言っています。ゆたかな表現は人と人、「学びの共同体」から生まれるということでしょう。ムッソリーニやナチズムとの闘いにも耐えぬいた都市にふさわしい教育が生まれる必然はそこにあったのでしょう。1994年に彼はなくなったと聞きます。

学力向上だけが教育の目的となり、人間形成という理念は「競争原理」の前で押し流されてしまったかのような今日の教育の現状の中ですが、現実を探究し、創り変えていく“想像力”の力こそが新しい文化を創造してくれることでしょう。


菅沼嘉弘

京都教育大学名誉教授

1936年生まれ  愛知学芸大学美術科卒

東京都江戸川区松江第五中学・小金井市立前原小学校

鳥取大学  京都教育大学  東京家政大学