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「日本美術会とともに歩んだ 永井潔の活動と意義を探る」

北野輝リポートより

北野 輝氏
北野 輝氏

心配されていた参加者が百人を越えた中、短い持ち時間に苦しみながら最大限意を尽くすべく苦闘されたパネラー各位をはじめ多くの皆さんのお陰で、シンポジウムは滞りなく「無事」終了することができました。しかし無事終了できたこととこの集会が「成功」したかどうかは別でしょう。私はこのシンポジウムの企画者であり、パネラーの一人でもあり、その成否を客観的に判断する資格に欠けています。以下、多分に主観的な判断の入り交じった報告となること、まだいくつかの点で遺漏があることをご了承下さい。なお後日、日本美術会の承認を得て、各パネラーの発言をはじめ本シンポジウムの全容を伝える報告集を出すことが出来ればと考えています。(北野輝)

[目的と意義]

 まず当シンポジウム開催の目的と意義について再確認しておこう。 (1) 日本美術会は(当の私を含めて)、これまで自分自身の歴史について関心が薄く、そのことによって現在の自分の立ち位置が見えにくくなっているように思われる。創立70周年を、自分たちの歴史に関心を持つ契機にしたい。 (2) 創立以来の歴史の中で、理論と実践の両面において(一面だけでなく)最も大きな役割を果たしたのは、もちろんいろいろな評価があり得ようが、永井潔ではなかろうか。そうだとすれば、彼についての記憶が薄れかけている今、永井生誕100年、日美創立70周年という機会を逃さずシンポジウムを開くことは意義があるだろう。… とはいえ永井潔の活動は多面的であり、一回のシンポジウムで論じつくすことは出来ないという難問があった。そこで苦肉の策として、まず序論として彼の活動のポイントを概観し(「永井潔の生涯と仕事」)、日本美術会において彼を論じるさいに避けて通れない入口となるその画業(「永井絵画とリアリズム」)と芸術論(「永井芸術論の今日性」)に焦点を絞り、とりあえず永井潔の仕事への関心と問題意識の喚起をはかることにした。 

 

[参加者数と内訳]

参加者最終集計:119人  

参加者から寄せられた「感想と意見」:39枚

「日本美術会とともに歩んだ 永井潔の活動と意義を探る」

参加者内訳(参加者名簿と「感想と意見」などを照合):日美会員76人以上(含平美会員、民美生 3人以上)、民文会員13人以上、その他(不明を多数含む)30人以下

 その内、日美会員では、福島、名古屋、長野などの地方からの参加もあり、その他の中には大阪からの参加者(関西芸術学研究会所属)が含まれている。

[シンポジウムの進行]

 開会1時30分、閉会4時30分予定。正味3時間の中に、3テーマ、5人のパネラーの発言と討論が盛り込まれている会の進行は、時間との戦いでもあった。文化団体連絡会議と美術家平和会議の二団体から寄せられたメッセージ(前者は長文)も、読み上げる時間を節約するためコピーして配るなどの措置がとられた。来賓で民主文学会長の田島一さんから永井さんの文学についての紹介と挨拶があった。そして何よりも短い持ち時間の中での発言を強いられたパネラー各位にはご苦労をおかけした。討論もフロアからの発言は質問のみに限られ、意見を闘わせる時間がなかった。何とか10分ほどの予定オーバーで全スケジュールをこなしえたのは、パネラーの協力と司会者の手腕のお陰であろう。

 

[評価と問題点]

  (1)100人を超える参加者があったのは、永井潔の人物、絵画、理論のいずれかへの関心と彼をテーマとしたシンポジウムへの期待があったからだと思われる。時間不足の中パネラー各位の苦心の発言により、不十分ながらも永井の活動とその意義についてかいま見る機会となったという限りでは、意義があったと思われる。だが「創立70周年記念シンポジウム」という額面にどれだけふさわしいものとなったかは、諸賢の判断に委ねたい。

 

(2)参加者の多くが、永井の信奉者、絵画の愛好者、理論の賛同者によって占められていたとすれば(それだけでもなかったと判断されるが)、それ以外の人たちに永井の活動とその意義について知ってもらう課題が残る。本シンポジウムの報告書を作成し、会員全員に配布する必要を感じる。

 

(3)上記の[シンポジウムの進行]でも明らかなように、3テーマ、5人のパネラーの構成では、各パネラーが意を尽くすに十分な時間配分をすることが出来なかった。また、討論時間も十分取れず、参加者から意見を聴くことも出来なかった。パネラーと参加者双方に不満を残すこととなった。そのことは、各テーマについて問題点を深く論議することが出来なかったことをも示している。

 

(4)「永井潔の生涯と仕事」(北野輝)について。この大きなテーマを限られた時間内で語ることは不可能との判断から、私はテーマを永井の日本美術会との関係に絞り(変更し)、他の誰もなし得なかった彼の功績について話した。彼がたどり着いた民主的美術運動体の「中核規定を持たない多元主義的連帯」というとらえ方について、他のパネラーやフロアからの意見を聞きたかったが、その時間はなかった。

 

(5)「永井絵画とリアリズム」(根岸君夫・木村勝明)について。根岸さんは、永井の初期(早くは少年期の祖母像)から後年に至る彼の作品画像をほぼ年代順に映写しながら話した。この画像映写は、系統的に多くの永井作品を観る機会のなかった参加者たち(永井に批判的な人をも含めて)に好評だった(参加者から寄せられた「感想と意見」)。根岸さんは、永井リアリズムの一貫性の中での変化や多様さをたどってみせてくれたと言えよう。これに対して木村さんは、永井芸術が時代の大きな変化(60年代)に対応した表現上の変化(変革)に至らなかったことを、国吉康雄や井上長三郎の作品と対置して述べた。この異なる見方の対比から、深められるべき、発展させられるべきいくつもの問題が浮かんで来たように思う。

 

(6)「永井芸術論の今日性」(上野一郎・稲沢潤子)について。上野さんは、理論家の立場から(理論自身に即して)、パワーポイントを活用し反映論と芸術論でのキーワードとなる部分を摘出しながら話を進めた。それは永井理論の重要な部分をすべてカバーするものではなかったが、永井理論を理解するための入口となるものと言えよう。稲沢さんは、作家(文学の実作者)の立場から、永井潔の言説の中から「永井理論の今日性」というテーマに引き付けて、啓発されたり共感したりしたことについて語った。その内容については、ジャンルの違う美術家サイドの共感をも呼んだようだ(「感想と意見」)。なお立場とジャンルの異なる二人(さらには北野も加えれば三人)の発言が、永井理論を貫くものが民主主義の追求にあったことを異口同音に語ることになっていたように思われる。 付け加えると、終盤で挨拶に立って父を語った永井愛さんの話が、やや理屈ばったシンポジウムの流れを変え、一気に永井潔像に血を通わせる締めくくりとなった。はからずも彼女にもう一人のパネラー役を果たしてもらったことになる。

 

(7)今回のシンポジウムでは、触れ残したこと、追求不足のこと、不明のままになっていること、今後の課題等々がたくさん残された(以上の報告はそれらの点についてほとんど触れていない)。フロアからの質問を受け止め、参加者から寄せられた39枚の「感想と意見」を分析し、理論部での議論を経て、取組むべき問題と課題を整理し明らかにしておきたい。 末筆ながら、ご苦労をおかけしたパネラーの皆さんはもとより、本シンポジウムの準備と開催をさまざまな仕事で支えて下さった渡辺柾子さんをはじめ事務局と事務の皆さんに、心から感謝しお礼申し上げます。

 

2016年12月12日:第7回常任委員会報告から一部抜粋して採録

文責:木村勝明