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2016年晩夏から初秋、韓国現代美術界の潮流

宮田徹也 みやたてつや

 2016年の晩夏から初秋にかけて、たまたま全く異なる目的の為に韓国五都市を巡った。韓国は現代美術を愛する国であり、世界の動向よりも特に自国のアーティストを応援する立場を国や企業、市民が取っている。至る所に現代美術館と画廊が立ち並び、ちょっとしたレストランに入れば作品が飾られている。このように恵まれた環境であっても、韓国人のアーティストにとっては未だ足りない様子である。

 韓国で現代美術が生まれたのは、日本の統治から解放され、朝鮮戦争が休止した直後であり、時を同じくして民衆解放運動が起きている。軍事政権下で、自由を標榜する韓国現代美術が弾圧されることは当然であろう。張り巡らされた体制の網を潜り抜け、ベネチアやサンパウロなど国際展に出品した第一期のアーティストがこれに当て嵌まる。日本やアメリカ、ヨーロッパの画廊で活躍した第二期のアーティストは今日、70歳前後である。90年代に入り、軍事政権から解放され、資本主義の真只中に活躍した第三期のアーティスト達は世界で活躍することと自国の変化に戸惑った。2000年以降の第四期のアーティスト達は国際展やアートフェアといった世界的動向の波に乗る一方で、自国の潮流から離れてしまう側面を持つ。

 どの時期のアーティストにも共通するのが、地域との密着性である。作品が世界的動向に即しても、地元の画廊や美術館、観衆が応援する。そもそも韓国ではソウルが都会で他は田舎、ということではなく、各地方が独立した文化を携える。日本のように地方が都会を模すような脆弱さは微塵もない。国内の文化の傾向は同一であっても、各地方が持つ地元の生活、食事、風習、価値観に誇りを持っている。当然の如く、美術の作品と展示場所にそれが反映されるのである。

1. ソウルの国立現代美術館

 私は2016年8月23日(火)、崇実大学校で開催された第10回クロスメディア研究会において「世界の美術館から見た韓国と日本の状況」を発表した。韓国国立現代美術館と神奈川県立近代美術館が同じように複数の分館を同時に展開していることにも触れた。神奈川県立近代美術館の水沢館長からは「予算の規模が違う」と答があり、翻訳と通訳をお願いしたChoiJaehyuk氏によると「現代美術館はそれでも予算が足りず、企業から支援を受けている」と聞いた。

 Choi氏に現代美術館ソウル分館を案内して貰った。東京都現代美術館よりも大きな美術館だが、驚いたことに展示室の半分ほどは閉まっている。四つの展覧会が開催されていたが、KimSoojaによる「Archive of Mind」(2016年7月27日-2017年2月5日)が印象に残る。長さ19mの楕円形の木のテーブルが展示室中央に置かれ、周囲に36脚の椅子が設置される。参加者は粘土を貰い、一人一つの粘土の玉を作り、テーブルに載せる。

 テーブルの大きさと玉の数に圧倒される。この巨大なテーブルだけでも莫大な経費を必要としたであろう。これ以外は、関連している若しくは全く別のスタイルの作品が数点展示されているだけである。大規模な回顧展ではなく、かといって国際展の延長のような新作数点の展覧会でもない。展覧会を行う目的が明確であり、テーブルの新作を理解するための、優れたキュレーションが施されているのである。

2. プサンビエンナーレ(9月3日-11月30日)

私は同ビエンナーレ第一会場展示長のKim Kiyoungに招かれ、内覧会に参加した。展評は「週間新聞新かながわ2373号」(9月18日)に掲載されている。第一会場は釜山市立美術館であり、「ひとつ/または 中国、日本、韓国の前衛美術」がテーマであった。各国の前衛美術の動向が端的にまとめられている。中国、韓国の作品の中には、どこかで見たことがある著名なものも含まれている。何を見せて何を隠したのかを考える必要がある。

 第二会場はワイヤーコイルの工場跡地をリノベーションしてアートの展示場とした。韓国の産業の努力を払拭せず、ここで働いていた人間の息遣いが感じられる。それに見合った23カ国56人のアーティストによる168の作品群は、アートフェアを前提とするグローバルな国際展の雰囲気が一切ない。地道に今日の動向と対峙し、時代と格闘しながら自己のイメージを育んでいる。難産と思えるほどに創意を凝らした作品が集結した。

 場所を飛び越えて「これが現代の美術である」ことを知らしめたのである。先進国と後進国、技術の進歩と遅れなどといった定義は無効になる。世界的に著名なアーティストがいたとしても埋没し、中心が発生していない。これこそプサンビエンナーレの真骨頂である。滞在した三日間の午前中、私たち家族はプサンの海を泳いだ。初めて体験する海水の温度、砂浜に埋もれている見たことのない貝殻。知らないことが一杯ある。

3. カンジュビエンナーレ(9月2日-11月6日)

 プサンビエンナーレと開始がほぼ同じなので、カンジュビエンナーレにも足を運んだ。この展評は「週間新聞新かながわ2376号」(10月9日)にも掲載されている。カンジュは街全体で美術を推進している。五階建のビエンナーレ専門展示館があり、街中の美術館、画廊が協力して国際展を盛り上げる。展示館はプサンビエンナーレの第二会場跡地と対照的に、美術館のようなホワイトキューブの空間である。黒と白、これだけ対比的な空間を直ぐに体験するのも滅多にないことだ。

 作品の見え方が異なるので、自己の色眼鏡を外して作品と向き合うには時間がかかった。展覧会のテーマは「第八元素」。ギリシャ七元素の次にくるべき元素=美術作品とは何かが問われた。このテーマに即してアーティストは作品を制作したのであろう。ビデオ作品は一室にまとめられ、その他の展示室の作品は意外にもオーソドックスな絵画/彫刻が多かった。人間の発生にまで遡るテーマに対して、根源的な作品が並んだのだった。

 幾つかの美術館と画廊を巡った。興味深かったのは、BerndKrassの個展を開催した無等現代美術館であった。ドイツで制作した小さな木彫作品をモチーフとして、光州で見つけた素材を組み合わせていた。想像力を徹底的に駆使している。光州に印象派を広めたOh Jiho(1905-82)の家を訪ねたことも印象深い。彼の娘である女性と韓屋の縁側に腰を掛け暫し談笑した。亡き夫であるO Syng Yoon(1939-2006)もまた著名なアーティストである。私は彼のカタログを託され再会を誓った。

4. テグ・Gallery SHELLA における前田信明個展(11月8日-12月5日)

 テグは韓国の現代美術の発祥の地とされる。その中で、Gallery SHELLAは主に抽象表現主義の作品を専門に取り扱っている老舗画廊である。韓国では、ここで展覧会を行えれば世界に通用するとも言われている。前田信明は1970年代初頭から今日に至るまで、一貫して抽象表現を追求してきた。前田が日本ではなくここで個展を開催することは、必然性に満ち溢れている。世界で通用する画廊で、世界に必要とされる作品が展示されることは当然であろう。

 天井高5mはあろうか巨大な空間に、2mを越す前田の作品が悠々と展示される。天井には特殊な照明が施され、日中にこれを消すとまた異なる雰囲気が生まれる。日本のちょっとした画廊のサイズの展示室では、小品と中品が展示された。ポートフォリオが置かれた机と椅子が用意され、じっくりと作品と向き合い、考察することが可能である。画廊としてはベストな空間が、ここに存在する。

 アーティストが制作から作為を排除する以上に、我々は物事を作為として眺めている。雲が人の顔に見えたり、水面を抽象的にしか認識できなかったりするのだ。何が描かれているのかが問題ではなく、アーティストと作品を見る自らの作為、その両者すらも排除して作品と向き合うと、私達には芸術とは特別な存在ではなく、生活に不可欠なものあると気付く。会場内で、私はそんなことを考えていた。

5. テジョンのDIAS DAEJON-INTERNATIONAL-ART SHOW 2016(11月10日-14日)

会場はKOTRA大田貿易展示館である。1990年代にパシフィコ横浜で開催されたNICAFや、今日でも東京国際フォーラムで開催されている「アートフェア東京」と同様の、ブース展示である。日本からは、越谷・Gallery Kと銀座・アーチストスペースが参加した。各国のブースも形成されているので、合計三箇所である。また、韓国の画廊から出品している日本のアーティストもいた。

 正に国際アートフェアで、日本にいるのかと錯覚する。私はアートフェアに力を入れて取材していないので、今後は世界の傾向を知る必要があると痛感した。韓国の画廊が大半を占め、アメリカ、ヨーロッパ、モンゴルまでに至るので、国際色豊かになるかと思いきや、やはり韓国の作品の幅がとても広い。河口聖、大平奨を筆頭に、力のある日本のアーティストが出品したが、突出や埋没もなく、平等に感じた点が日本のアートフェアとの違いか。

 私が訪れたのは内覧会であったため、一般の入場者とすれ違うことができなかったのが残念でならない。ここに足を運んだ韓国の人々がどのような作品に注目し、何を購入して帰っていったのか。興味本位が目的となる日本のアートフェアと、コレクターが集うシンガポールやNYCのアートフェアでは大きな違いが生まれることであろう。作品を見るだけではなく人を知る努力は不可欠である。

 

 様々な韓国の都市の展覧会に向き合うと、日本の美術館はどうか、日本で我々はどのようにすればいいのかという多数の問題意識に導かれる。神奈川県立近代美術館の鎌倉館は閉鎖され、新館と学芸棟は灰燼に帰した。自らが発した答なき問いに対して逃げずに向き合うことが、我々の人生に最も必要な事項であると再確認したのであった。

テジョン_DIAS展示風景
テジョン_DIAS展示風景

宮田徹也 みやたてつや 

(日本近代美術思想史研究)

1970年、横浜生れ。日本近代美術思想史研究。岡倉覚

三、宮川寅雄、針生一郎を経て敗戦後日本前衛美術に到

達。ダンス、舞踏、音楽、デザイン、映像、文学、哲学、批評

、研究、思想を交錯しながら文化の【現在】を探る。

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コメント: 1
  • #1

    棟方 隆志 (水曜日, 11 10月 2017 21:21)

    今後の更なる活躍を期待しています。