「東北のカセツのカベに絵を贈ろう」プロジェクトに参加して


大野恵子

「東北の仮設住宅の壁に絵を贈れないものだろうか。」という首藤さんのつぶやきから始まったこのプロジェクト。その後、いろんな人に呼びかけたところ10数名の作家から賛同を得て、作品約50点が集まった。その作品を持って、川端さん、榎本さん、私の3名で11月20日に宮城県塩竃市の仮設住宅に行ってきた。今回は、事前に川端さんが現地に行き、市役所からボランテイアの方を紹介してもらい、その方をとおして実現することができた。川端さんの熱意とボランテイアの山田さんの尽力に感謝である。


当日までの間、「被災地の方に絵なんて受け入れられるんだろうか。」という思いが何度も頭をよぎったが、とりあえず行ってみようと新幹線に乗り込んだ。
仙台駅周辺は震災の影はあまり感じられなかったが、塩竃駅に着いたら、ひびの入った建物、シャッターが閉まったままの商店があちこちに見られた。「ここまで津波が来たんですよ。」とタクシーの運転手さんが教えてくれた。
被害の少なかった高台の地域から少し下ったところに、突然、仮設住宅が建ち並んでいて、周りの景色との違いにちょっと異様な感じを受けた。ボランテイアの山田さんの話では、ここの仮設では周辺の地域とのギャップに苦しんでいる人が多いとのこと。家を流され全て失った人にとって、にぎやかな町並みは幻のように映るのだろう。


我々が到着したとき、新潟のボランテイアの方が炊き出しをやっていて、人々が長い列を作っていた。集会所で絵を並べている私たちを見て「何やってるんですか」と声をかけてくれる。ちょうどよい宣伝になった。そのせいか、開始時間前からぱらぱらと人がやってきて、「これ、持っていっていいんですか。」「わーこれすてき。」「こっちもいいわね。」と次々と作品を持っていく。あっという間、30分あまりで作品はほとんど無くなってしまった。不安でいっぱいだった私には衝撃だった。訪れた方の多くは年配の女性だった。おそらく今まで絵にあまり興味がなかっただろうが、「へーなかなかいいじゃない」と気軽な感じで作品を持っていかれたように思う。それは、作品も場所にも気取りのない親しみやすさがあったからだと思う。我々の作品が、被災された方たちの生活の中で、少しでも潤いになってくれればありがたいことである。


予定より早く終わったので、炊き出しのごはんをご馳走になり、山田さんに「せっかく来たんだから」と仮設の中を案内してもらう。マリコさんという方がお宅の中を見せてくださった。狭いながらもきちんと片付いていて、センスのよい雑貨を飾って居心地の良いお部屋になっている。


マリコさんは塩竃市の島でカフェを営んでいて、新装開店を目前に、津波でお店と家を全て流されてしまった。いずれ島に戻りたいと願っているが、地震の影響で地盤沈下が起こり、島がどんどん沈んでいるそうだ。今はこの仮設で、自分にできることがあればとボランテイアの山田さんの手伝いをやりながら、日々忙しく過ごされている。この先どうなるかわからないが、悲観しても仕方がない、なんとかなるさと思っていると語ってくださった。人とのつながりを大切に、日々を丁寧に暮らしてらっしゃるマリコさん。お茶をご馳走になりながら、その懸命な生き方にこちらが励まされる思いがした。


山田さんは、最後にどうしても見ていってほしいと、私たちを車に乗せて、被害の大きかった浜の方を案内してくれた。土台だけ残された家々の無残な光景が広がる。ここにたくさんの人々の暮らしがあっただろうに、今は数えるほどの灯りしかともっていない。


山田さんは「ここで見たこと、聞いたことをまわりの人たちに伝えてほしい。被災された人たちのことを忘れないでほしい。」と涙を抑えながら我々を見送ってくれた。
プロジェクトは今後どうなるかわからないが、その言葉の重みを胸に、自分に何ができるかを考え続けていこうと思う。