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巨大化する展覧会の恐怖―2017年美術展覧会回顧

宮田徹也

私はこれまで『美術運動』誌面で、神奈川県立近代美術館鎌倉館閉館の問題を追ってきた。この活動は現在も継続している。「どうする?どうなる?鎌倉近代美術館」と題し、偶数の二ヶ月に一度、大船・木のおうちゆるこやで、古沢潤、首藤教之、山野辺明、加藤史郎、中西和、彦坂尚嘉らと議論を繰り返している。FACEBOOKのイベント頁、「鎌近のこす会」で情報を公開している。誰でも参加できるので、お気軽にご連絡戴きたい。(nkbskmt@gmail.com/090-6347-0411)。 

 「どうする?どうなる?鎌倉近代美術館」では、既に鎌倉館が閉館に追い込まれたとしても、美術を巡る今日の状況を如何に把握するかの問題にも踏み込み、各人による様々な見解が示されている。私が『美術運動』2016に投稿した「2016年晩夏から初秋、韓国現代美術界の潮流」もまた、この一環である。主に韓国の美術館で行われた展覧会を追うことによって、日本との比較分析を行ったのが主題のひとつであった。美術は画廊、美術館、オルタナティブスペースと様々に展開する。

 しかし、鎌倉のことを考えていくとすれば、やはり美術館が現在、どのような役割を果たさなければならないのかについて着眼しなければなるまい。今回は、日本の美術館で開催された展覧会を検証する。ここで取り上げられている展覧会について、私は既に「週刊新聞新かながわ」(新かながわ社 T E L:045-334-7867 FAX:045-334-7868 メールアドレス:info@shinkana.jp)で展覧会評を発表しているが、ここでは同じ展覧会を取り上げても、少し異なる角度から捉え、2017年の総括とする。

 トピックは二つである。一つ目は本題の通り、巨大化する展覧会の恐怖である。さほど大きくもない美術館であっても、企画次第では何十万人も客が殺到する。そこで観客は何を見たのか。二つ目は、追い詰められている公立美術館で、優れた現代美術アーティストによる個展が開催されている点にある。物故ではなく現役のアーティストの、美術館での個展は当たり前のようで全く実現されないことを考えると、嬉しい傾向である。最後に、この二つの動向から何が見えるのかを考察する。

  巨大化する展覧会の恐怖は、600,439人を集めた東京国立博物館「運慶展」(9月26日~11月26日)と、約624,500人が押しかけた京都国立博物館「国宝展」(10月3日~11月26日)であろう。入場者でナンバーワンは657,350人の国立新美術館「ミュシャ展」(3月8日~6月5日)であるが、私はこの展覧会を見ていないどころか知らなかった。テレビを全くみないでフライヤとプレスリリースを頼りに展覧会へ取材に行く私には、どれくらい「運慶展」と「国宝展」の情報宣伝があったのか知る余地がない。

 「運慶展」は、私が訪れた際にはそれほど混んでいる印象はなかったが、よくよく思い出すと50分待ちであった。確かに良い展覧会ではあった。運慶一派の仏像がこれ程までに集うと、それだけの迫力があった。父の康慶(こうけい)から、御堂から切り離されて展示されているにも関わらず仏像一体でも仏教の荘厳を実現、信仰心から人間をモデルにしているのではないか、1180年の平重衝による南都焼討(東大寺、興福寺の大半が焼失)という源平合戦の時代での運慶の平和への祈りなど発見があった。

 「国宝展」の時期、私は他の仕事のために京都を何度か訪れていた。滅多に乗らないタクシーで、運転手さんから「昨日は北海道、今日は東京、明日は九州と、日本全国から美術館に人が向かっている」ことを教えていただいた。待ち時間は大抵、150分前後であるという。諦めた矢先に台風が来襲し、それでも40分の待ち時間を経て、展覧会場に入ることができた。国宝210点が展示された。とはいえ八週間を二週間ずつ四期に亘って入れ替えするので、ゆったり見ても、各期は基本僅か52点と言うことになる。

 両展共に、研究者である私から見てもよく考えられた展覧会だと思う。美術に詳しくない方々から見れば尚のこと驚愕したに違いない。どれだけ並んでもゆっくり見られた。見どころの解説キャプションもあった。しかし、天皇の御物から解放されたはずの美術作品が、再び「運慶、国宝だから凄い」というトートロジーに戻ってしまってはいないかと私は危惧する。「軍隊が完備され、首相が元首に代わる数年前に行われた「運慶展」と「国宝展」という日本の美を賛美する展覧会があり、国民がそれを望んだ」と未来の教科書に書かれたくないものである。

 つまり、展覧会が国策に加担していないかが問題なのである。確かに新美術館で開催された「ジャコメッティ展」(6月14日~9月4日)も14万人の入場者数を誇ったが、美術がブームになったのではなく、特定の展覧会に国民が殺到する現象が起こっているのである。内容もまた、権威主義に満ち溢れている。東京国立近代美術館「日本の家」(7月19日~10月29日)も内容のある展覧会ではあったが、建築家の個人の天才性が強調され、ローマ、ロンドンを巡回したことを考慮に入れると、ナショナリズムが見え隠れする。

 最悪だったのは横浜美術館「ファッションとアート」(4月15日~6月25日)であろう。19世紀後半から20世紀前半の、横浜のファッションと美術に焦点を当てたとしながらも、《昭憲皇太后着用大礼服》(1910年頃)と《明治天皇肖像》《昭憲皇太后肖像》(1897年)が企画展第三展示室で荘厳に展示された。大政奉還150年を「祝う」この年に、公共的な空間である筈の公立美術館でこのような作品が展示され、訪れた者達が美術館で展示されている権威的な作品に平伏すことなど、あってはならないことだ。

 

 国内のお宝を見せつける。日本がアジアをリードし、「先進国」として欧米と引けをとらない。このような戦前的な発想は今も生き続けている。前者には言及した。後者が国際展である。横浜美術館他「ヨコハマトリエンナーレ」(8月4日~11月5日)の作品のテーマは人間、ぬいぐるみ、虫、判子、国旗、自然、ジーパン、お面、玩具、瓦といった「瑣末な現実」であり、アートが日常化したのでも、特権的な姿を放棄したのでもなく、アートが日常に、完全に敗北したとしか、私には見えなかった。

 国立新美術館+森美術館「サンシャワー」(7月5日~10月23日)も、国際展的要素に溢れていた。「東南アジアの現代美術展」と銘打ち、欧米の現代美術の手法で政治=経済=生活問題を、分かりやすく説明する。現代美術とはあらゆる権威に身を寄せず、それぞれが多義的に展開しているはずなのに、皆、同じような作品が並ぶ。難解な現代を鏡のように映し出す現代美術が、分かりやすい筈がない。「横浜トリエンナーレ」と並び、「これが今日、世界で通用しているアートなのだ」という教義主義に満ちている。

 このような傾向に対して、現代美術アーティストの個展が開催されたのは救いであろう。東京国立近代美術館「山田正亮」(2016年12月6日~2017年2月12日)。山田(1929~2010)のひたすらに繰り返すストライプの作品を会場一杯に展示した展覧会は、賛否両論があろう。しかし、山田の存在を改めて知らしめたことは重要である。山田のような、評価されては名前すらも聞かなくなるアーティストが山ほどいる。確かに美術館での個展は一つの特権であろう。しかし、美術作品とは崇められるものではなく、研究される対象でなければならない。それは近代という未曾有の在り方の模索とも繋がる。

 

 川崎市岡本太郎美術館「TARO賞大賞 山本直樹」(2月3日~4月9日)も見応えがあった。山本(1963~)は北朝鮮が日本にミサイルを発射することを想定し、国内でも虐めや差別が行われていることを角砂糖と文字と光によるインスタレーションで示した。比喩や隠喩を用いず、現実を直接に晒し出した作品が岡本太郎賞を受賞することに、大きな意義があろう。なぜなら現代美術とは、世間に告知する広告や、国と公共団体が一般に告知する公告とは一線を画し、真実のみを伝達しなければならないからだ。

 東京都写真美術館「山崎博」(3月7日~5月10日)。山崎(1946~2017)が、展覧会終了直ぐの6月5日に没してしまったことが悔やまれる。山崎の写真の変遷を辿ることは、私達の敗戦後の時代軸を振り返ることにも繋がるであろう。様々な実験精神が今日失われてしまっていることにも、目を背けることは出来ない。写真であることの可能性と、奢侈であることの限界に対する山崎の考察は、スマートフォンで画像を撮影しその場で見ることが当たり前になっている我々に対する一つの警告として受け止める必要がある。

 武蔵野市立吉祥寺美術館「北村周一」(4月8日~5月28日)。1952年生まれの北村は現役バリバリであり、画廊でも旺盛に個展を開催している。この場所の特性を最大限に活かし、時にはガラスケースに入れた作品の前に作品を置き、「見る」ことを問う。「見る」ことなど誰もが当然にしている行為に対して、徹底的に疑問符を投げかける。立体や空間を演出するインスタレーションという技法ではなく、あくまでも絵画のみで空間を生み出そうとする北村の試みは、絵画の不可能性を可能性に転化させているとも言える。 田川市美術館「上條陽子」(6月29日~7月23日)。1937年生まれである上條もまた、積極的に活動している。個展だけではなく、パレスチナの現状を伝えるための展覧会に尽力している。そのような上條の活動と人柄が伝わる展覧会であった。現在、パレスチナに訪れることができなくとも、人間は創造力と想像力によって国境、場所、空間、位置、距離を乗り越えることができる。パレスチナが悲惨なのではなく、他人に対して悲惨を感じない人間こそが悲惨であることを、私は上條の作品から学んだ。

 埼玉県立近代美術館「遠藤利克」(7月15日~ 8月31日)。国内外で高い評価を受けている遠藤(1950~)ではあるのだが、2009年の国際芸術センター青森以来の、二度目の美術館での展覧会であった。美術館という空間を作品で異化したこの展覧会は、遠藤がモノ派と距離をとったからこそ極めて遠藤がモノ派に近かったことが、逆説的に立証されてしまったのではないだろうか。現代美術の歴史に発展史観は、決してない。時空を超えて存在するからこそ、現代美術は現代美術としての存在意味が出現する。

 神奈川県立近代美術館葉山でも、谷川晃一の個展が開催された(2016年10月22日~2017年1月15日)。谷川(1938~)は、現代美術と呼ばれる狭い世界に留まることなく、自由で、誰でも絵は描けると主張し、子供に向けられた絵本の制作など、世間に向かって美術の必要性を提唱している。そのようなアーティストは稀であり、だからこそ現代を表わし、研究するに相応しいことが、神奈川県立近代美術館での個展の所以ではないだろうか。神奈川県立近代美術館は、近代の研究を欠かさず行っている。

 美術館における、現代美術アーティストによる個展の動向を探った。いずれも見応えのある展覧会ではあったのだが、集客数は本当に少なかったであろう。巨大化する展覧会に、比べ物にならなかったはずだ。今日、美術批評を書く場所などほとんどなく、WEBで書いたとしてもどれほどの効力があるのだろうか。素晴らしい展覧会には多くの人々が集って欲しいという希望を我々は持っているが、中々そのようにはならない。良ければ人が来る、人が来れば良い展覧会であるという杓子定規を捨てなければならない。

 

 これから公立美術館は指定管理者制度により、企業が学芸課まで管理する時代に突入する。企業論理は集客である。都道府県の行政もまた、それを望んでいる。芸術とは、特に美術とは「人と人の繋がり」であろう。国内に限ってみれば日展だけ、公募団体だけ、前衛集団だけと、その間を巡る者は本当に僅かに過ぎない。美術だけではなく演劇、音楽、映像と、我々は「人と人との繋がり」のネットワークを、今だからこそ、広げていけなければならない。でなければ、巨大化する展覧会に呑みこまれていくだけであろう。 


宮田徹也 (みやた・てつや/1970-)(日本近代美術思想史研究)

横浜生まれ。日本近代美術思想史研究。岡倉覚三、宮川寅雄、針生一郎を経て敗戦後日本前衛美術に到達。ダンス、舞踏、音楽、デザイン、映像、文学、哲学、批評、研究、思想を交錯しながら文化の【現在】を探る。嵯峨美術大学客員教授。