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版画家・三井 壽が描いた鶴川-没後30年 三井 壽回顧展―

日本美術会会員 篠崎 カツミ

 三井壽(1921年~88年)が亡くなって、はや30年ちかくなる。昨年(11月13日~18日)町田市和光大学ポプリホール鶴川で回顧展が開かれた。

 三井壽は、三井飯山(日本画家・南画家)を父に、京都で生まれた。幼い頃より絵を描き、京都市立美術学校を出、松林桂月(日本画)の塾に入った。しかし徴兵・病気退役を繰り返す、暗い時代を経た・・・。◯戦後、版画家へすすんでいったのは、日本版画運動協会の創立(1949年)への参加からだった。鈴木賢二、小野忠重、上野誠、滝平二郎、新居広治、太田耕士、呉柄学 等と。◯美術家平和会議の前身、美術家懇談会の発足に努力し、中谷泰、西 常雄、高柳博也、らと共に、平和美術展を軌道にのせるために奮闘。◯日本美術会にも所属し、日本アンデパンダン展に出品する。◯職美協(職場美術協議会)には、都庁美術部や、年賀状作りの木版画の講師として、ほぼ10年間つとめる。

 

『じさま』・『ばさま』が生まれる。

 1953年、町田市能ケ谷町に移住。当時は自然豊かな農村で、土地の人たちと知り合い、デッサンさせてもらい、農民たちの木版画がうまれた。描かれたのは「じさま」「ばさま」「娘」だ。黙々と種を播くばさま。鋤を担ぐじさま。腰を下ろし話を聴くじさま。顔にはしわが寄り、手は大きく、指はごつごつと筋くれだつ、昔から生きてきた老農の姿だった。 線は骨太で力強く、彫りは鋭い。白と黒のきっぱりとした表現は印象的である。それらは、彼の眼でとらえた独特の雰囲気をそなえたスタイルになっていた。初期は色彩があり銀箔を押す重厚な作品があったが数は少ない。彼の代表作はこれら、力が入っている「じさま」「ばさま」シリーズだろうと思う。

 「ほとけさま」路ばたの石仏やおじぞうさまも多数制作された。庶民の素朴な祈りを長く受け止めてきた無名の石工が彫った像のすっきりした表現がある。

 彼は農民を愛し、庶民を愛した。そして「見果てぬ夢」の話をよくした。《彼はほんとのことを話した。それが良かった。》と。 彼の作品と生き方に敬愛と哀惜の情を持つ人たちが実行委員会を作り、生前3回の個展を町田市民ホールギャラリーで、亡くなられてからは、遺作展を国際版画美術館市民展示室で3回行い、今回は4回目である。この集まりは、地元の方々や町田市役所に勤めていた人が多い。箕田源二郎、竹田京一など、美術家や文化人、ジャーナリストもいる。参観者は町田や地元の鶴川の人、遠くからの人合わせて300名余。懐かしそうに観ていた。