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【1930年代の反戦パンフ】松山文雄著 「誰のために-ハンセンヱホン」

松山しんさく(まつやまふみお研究会)

地元の展覧会で出会ったある青年との会話。「えっ、戦前にも反戦活動をした人が居たのですか!」。これには、こちらもびっくり。若い人には戦前は遠い昔だったのだ。毎年、8月には原爆や戦時の悲惨な状況がTVで放映されるが、開戦(1941年)以前のいわゆるプロレタリア文化運動は、マスコミが採り上げることも少なく、戦後生まれの若い世代に知られていないと感じた。そこで、手元にある松山文雄著「ハンセンヱホン」(1931年9月8日発行)を復刻してみようと思った。

 

 まつやまふみお研究会でこの話題を提案したら、武居利史氏が検索して国会図書館にもあることが分かった。図書館所蔵版は当時官憲が押収したらしき分類番号が付いたモノクロ写真画像で、ネットでも公開されている。実物は見られない。ついでに関連文献を検索したら、ふみお自身が発行時のいきさつを書いた記事(文化評論、1962-8,p72)が見つかった。この記事には、「繪も文も不器用なものだが、1931年という時点をよく反映していておもしろい」とある。ところが、読んでみると現代人にはまるで理解できない単語や伏せ字があり、ガリ版印刷もかすれて判読がむずかしい箇所がある。図書館版も参照しながら、注釈をつけることにした。今はネットで簡単に用語検索が出来ると思いきや、そもそもこの時代の文献がデジタル化されていない写真画像(おそらくマイクロフィルム保存のpdf化)で、資料名などから中味を探索しなければならない。あるいは現代に書かれたデジタル文献を漁るしかない。これらの用語探索によって、当時の時代背景が朧気ながら見えてくるのは、おもしろかった。最後まで難解だったのは、「解銀問題?」である。この後ろに「蟹工船を読め」と書かれているが読んでも判らない。やっとネット版「斎田章著、ロシア革命の貨幣史」の一節に「浦塩鮮銀問題」という項目を見つけた。ガリ版の文字が不鮮明で「解」ではなく「鮮」であった。正しくは「朝鮮銀行ウラジオストック支店問題」のこと。革命後のソ連の混乱期に、円と下落したルーブルの差益でソ連領海の漁業権を買い取った話だった。

 

 

 さて、内容を少し紹介しよう。ページを開くと見開きで文章と繪が並ぶ絵本構成となっている。目次のとなりは、骸骨の兵隊が腕や足を銃弾で失いながらバリーケードを乗り越え疾駆する「戦場」だ。「生死を超越し一意任務の完遂に邁進すべし」、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」とは、東条英機が、1941年(昭和16年)、太平洋戦争を始める前に示達した戦陣訓の死生観。本冊子はその10年前に書かれており、まさにこれを絵解きしていた。

 以降の構成は、大項目、「戦争のために」、「又戰争だぞ!」、「見ろ戰争の用意」、「戰争をたすけるファシスト-社会ファシストー」、「戰争に対する××(運動?)」、があり、その小項目を繪と文章で説明している。さらに冊子の綴じ中央に繪のない「日本の反戦史」がある。

 目次のつぎ、最初の項目は「廃兵」である。戦陣訓の最後に「万死に一生を得て帰還の大命に浴することあらば、具に思を護国の英霊に致し、言行を慎みて国民の範となり、愈々奉公の覚悟を固くすべし」とある。

「ちんばのちんばの廃兵が/ぎしぎしぎっちこやってきた/ちんばのちんばの廃兵よ/國のためだとおもったか/うんにゃおいらもだまされた/もう戰争はまっぴらじゃ/ちんばのちんばの廃兵よ/みんながみんながだまされた」

 ちんばになっても、助かった命だ。「愈々奉公の覚悟」なんてまっぴらじゃ、というのが傷痍兵の本音だったろう。

 廃兵の後ろに立つ馬上像は誰か? 戦後はじめて天皇を漫画に描いたふみおのこと、想像が出来る。遠くに上がるアドバルーンに「?忠勇」という文字が読める。淸酒「忠勇」のことかと思ったが、酒ではなく?(ハク)と書かれている。見慣れない漢字だが、辞典によると浅い水の意。「薄」もハクと読むから、忠勇希薄という風刺なのか? ふみおは前掲の記事で、「事前の伏字は発禁をさけるように工夫されなければならぬが…、繪のほうはそう簡単にはゆかない。風刺という方法があるが、あの当時は一般に暴露と煽動形式がおもにとられていて、この絵本も内容の性質上、ことさらにそれがどぎつく出されている。」と書いている。

 

 絵本らしき詩文体はここだけ。以後は資料を提示しながらのアジテーション文体で、戦死者の遺族、新植民地の原住民支配、…と続く。が、ここでは一部の紹介だけで、全内容は復刻(解題つき)をご覧頂きたい。本年(2018)5月頃には公開研究会で配布したいと考えている。