日本美術会会員 新美 猛
初日オープニングには50名をこす人たちが集まって森田氏への期待の大きさが際立った。参加者がこもごも語ったのはその人柄と創作姿勢への称賛だった。彼は旋盤工として働き続けた質実な労働者であった。そのかたわら好きな絵を描いて来たのだったが、バッタ取りに夢中になる少年であった。いまだにその心情を持ち続けているようだ。五、六十年前の東京北区の十条は今のように都市化してはいなくて遊ぶところがいっぱいあっただろう。彼の絵に出てくる荒川沿いの工場群などは少年の頃から慣れ親しんだ風景であろう。まさに生活の場であった。
私は森田氏とは終戦少し前に生まれた同世代だが、30才頃から知っていてもう40年をこす。職美展、日本アンデパンダン展、主体展(現在は出していない)、地平展などで見てきたし、個展でまとめて観ることも時々あった。そんなわけで彼の創作の大きな流れはなんとなくわかる。描写性が強い時期もあったようだが今はよりシンプルで構成的な表現になっている。
いつ頃からか「沈黙の譜」と題するシリーズになって続いているがその命名はどこからきたのであろうか。私のかってな想像だがくりかえし描く機械と人間(多分自画像―それは主に直立した立像である)に見られる黙々と働いてきた者としての自負ではなかろうか。俺の絵を見てくれと言っているように思える。今の時代、政治家に象徴されるうそと欺瞞にまみれた薄っぺらな生き方を平気でする連中の何と多いことか、いわゆる口のへらない、口先で生きている連中に対して真逆な生き方である。
彼は現実社会や政治に対して極めてするどい感覚を持っている。それを時に吐露することがあっても、にもかかわらずというべきか、絵の上ではとても寡黙で繊細な表現が特徴だ。その彼の絵から読み取るものは何であろうか。
昭和の時代から平成の時代へ生を重ねてきた中で、彼の絵の中に郷愁をさそうようなものがあるとすれば、それは昭和のある種の記憶がよみがえるのかもしれない。今の若い人に伝わるかという疑問を持つ人もいる。しかし単なる郷愁ではないことはあきらかだろう。「沈黙の譜」と題した彼の意図を観る側が読み取らなくてはならないだろうか。
オープニングのおりにバックに使われている赤い色はどういう意図があるのかと私はたずねた。彼は情熱をもって意欲的に取り組みたいと答えた。それは決してかろやかなものではない。下地に黒か何かおいてあるのか重く深いものであろう。密度を高め充実させたいのではないだろうか。その意味で成功していると思う。これらの絵は大作に多いようだ。その一方でより繊細でこまやかな表現の強い絵もある。私はこれらの絵が好きである。今後の展開を楽しみにしたい。 2017,12記
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