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時間と空間の力 (COVID-19の下の無言館訪問)

篠原 一夫(編集部)

停滞の1年

 2020年は中国・武漢発祥と言われるCOVID-19(新型コロナウィルス)のニュースが届いて年が明け、東京の感染者数が過去最高の更新を果てしなく繰り返しながら師走に突入する一年間でした。

 この年の展覧会は「アンデパンダン展」も含め軒並み中止・延期が数多く、また各地のギャラリーの活動も停止あるいは停滞することにもなりました。

 その中にあって信州・上田市の無言館(及び第二展示館)は、美術運動編集部の木村、篠原および日本美術会会員のオザキユタカ氏、計3名が訪れた晩秋(11月29日)でも普通のたたずまいで普通に開いておりました。

鎮魂の十字架

 上田からローカル線(上田電鉄別所線)に乗り最寄り駅(塩田)から片道二キロ。田水が抜け、刈入がすっかり終わって広々とした塩田平野の彼方の山塊には、白い蒸気を上げる浅間山のうっすらと雪化粧した姿を望みました。あぜ道を進むと農家の庭先には誰も収穫しない赤い柿の実がたわわでした。やがて道が丘陵に向かう登りとなり、落葉の尽きた冬枯れの雑木林に囲まれた中にその施設はありました。無言館。ここは、戦没画学生の遺作に特化した美術館です。コンクリート打ちっ放しの建物の中は、長方形の空間が中ほどで交差する十字架型になっていて、一歩中に入るとすでに鎮魂の意味合いを語りかけてきます。

 

無言と嘆息

 その空間の中央には、画学生が残した手紙類や書籍、画材などの遺品類と説明書きを収めたガラスケースが並び、壁面の作品それぞれにも丁寧な解説が添えてあります。一点、そしてまた一点と歩みを進めながら解説に目を走らせかつ作品を鑑賞するうちに、自ずと沈黙を余儀なくされます。

 この美術館を命名した人はそれを予測していたのだろうか?

画学生の故郷の山や川、親兄弟の肖像、そして恋人や若妻を描いた具象作品が多く、戦地に向かう前に記憶にしっかりと留め措きたいという切望が生々しく痛々しく伝わってきます。私たちはそれを無言で受け止め、口から出てくるのは深い嘆息でしかありませんでした。

第二展示館―圧巻のデッサン群
 無言館の敷地から南のスロープを下った先の平地にあるのが第二展示館です。こちらもコンクリート打ち放しで、一見したところはロマネスク様式の修道院のような重厚さを見せるけれど、わりと小ぢんまりした佇まい。それは数寄屋風の西洋茶室とも言いたい可愛さがあります。しかし一歩中に入ると、教会の身廊のような長方形の床面に、吹抜けの見上げる高い天井は半円筒のアーチ型。そして圧巻は、そのアーチの曲面に隙間なく貼り込められた無数のデッサンです。人体裸婦や石膏像のコンテあるいは画用木炭の濃淡は、画業に励む憑かれた者たちの魂の痕跡を留め、見る者を圧倒しここでも言葉を失いました。

締めくくりは温泉
 観賞を終えて無言館を出た一行3人は、それぞれがそれぞれの強い思いを胸に納めて次に向かったのは、別所温泉。塩田駅から再び別所線の乗客となり終点で降りた駅舎は、趣のあるレトロな建築。清少納言の枕草子に「七久里の湯」とあるのが当温泉とする説があり、ざっと1000年の歴史がある温泉場。私たちは、駅に近く露天風呂も備わった公共温泉施設「あいそめの湯」にゆっくり浸かり一日の締めくくりとしました。

終わらない無言館の役割
 帰京した翌週の朝日新聞夕刊(2020年12月4日)に無言館の記事が掲載されました。1997年の開館当初は年間10万人の来館者を数えたが年々減少し、昨年は3万人を割ったとのこと。当然作品の補修・保存や施設の維持管理も難しい。しかも2020年はコロナ・パンデミックが大きく影響している、と苦境を報じる内容でした。(https://digital.asahi . c o m / a r t i c l e s / D A 3 S 1 4 7 1 9 9 1 8 . h t m l ? _ r e -questurl=articles/DA3S14719918.html)そして対策の一つとして、絵や遺品をデータベース化することで、後世に永く残す構想も始まっているとのことです。 しかしこれは万一の場合として、将来の閉館のやむなきを想定した消極的な対策とも言えないでしょうか? コロナはいずれコントロールできるでしょう。しかし、来場者の数の減少傾向については、積極的な対策も併せて打ち出しながら改善していかなければならないでしょう。なぜならば、無言館の果たしてきた役割はここで終わるどころか、現今の日本の政治風土の動向を鑑みると、その存在は今後一層重要になることは必然だからです。そして、デジタル・コンテンツに接するよりも、生々しい作品群と対峠する重厚な時間と、館の独特の空間が相俟って醸す強い力を信じるからに他なりません。(了)