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「芸術運動」としての民藝、あるいは『民藝の100年』展の行間を読む

山本浩貴(やまもとひろき)文化研究者・アーティスト

 民藝運動の全像を把握し直す試みとして、大規模な展覧会である柳宗悦没後60 年記念展「民藝の100 年」が東京国立近代美術館にて開催されている(会期は2021 年10 月26 日(火)から2022 年2 月13 日(日)まで)。その運動の主たる推進者として知られる宗教哲学者で思想家の柳宗悦 -「民衆的工藝」の略語である「民藝」という新たな美の概念は、柳と彼の盟友である陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎らによって提唱された ー は1889 年に東京で生まれ、1961 年にこの世を去った。ゆえに開催年である2021 年はちょうどその没後60 年にあたり、同展には「柳宗悦没後60年記念展」という冠が付されている。

そうした節目をかざる企画にふさわしく、そこでは「柳らが蒐集した陶磁器、染織、木工、蓑、籠、ざるなどの暮らしの道具類や大津絵といった民画のコレクションとともに、出版物、写真、映像などの同時代資料を展示し、総点数450 点を超える作品と資料」(展覧会カタログより)が一堂に集められた。後述するように、こうした重厚なボリュームは、私たちが「民藝の100 年」では明示的に語られていない事柄にスポットライトを当てること、すなわち同展の行間を読むことを可能にする。

 「民藝の100 年」が含み持つ幅広いパースペクティブはまた、民藝運動が「芸術運動」である理由をはっきりと示していた。「民藝のメディア戦略と、地方の人・モノ・情報をつないで協働したローカルなネットワーク」(カタログより)に着目した同展で明確に前景化されたものは、芸術家の集まりや無数の美術作品をひとつの芸術運動としてまとめ上げる条件としてのインフラストラクチャー(下部構造)の存在であった。『戦後初期日本の芸術とエンゲージメント』(2018)の著者ジャスティン・ジェスティは、同書のなかで作品そのものだけではなく作品を可視化するためのインフラの重要性を訴え、その序文において「視覚的な芸術性だけでなく、作品自体を可視化し、意味づける条件を作り出すために、彼・彼女ら[ 前衛芸術家たち] がなした行為」も注視すると宣言する(Justin Jesty, Art andEngagement i n Early Postwar Japan, CornellUniversity Press, 2018, p.5)。一方、美術史家の富井玲子は「コレクティビズム」について論じるなかで芸術運動における「オペレーション」の意義を指摘し、そうしたオペレーションを構築するために戦後日本の前衛的アート・コレクティブを特徴付ける「したたかなDIY(Do It Yourself)精神」があったと主張している(富井玲子「日本のコレクティビズム再考ーDIY 精神のDNA を<オペレーション>に探る」『美術手帖』2019 年4・5 月合併号、129 頁)。

 芸術運動の下部構造に関するこうした点は、一般的に理解されるように民藝を「日常の暮らしに宿る美しさを追求する運動」(山本浩貴『現代美術史』中央公論新社、2019 年、11 頁)として説明する言説のなかでは、あまり強調されてこなかった。だが、「民藝の100 年」では、自身やその仲間たちの思想や考えを様々なメディアを駆使して世間に広めようとする優秀な「編集者」としての柳の姿が浮き彫りにされている。たとえば、民藝運動の機関誌である『工藝』(1931 年創刊)には、型染の技法で創造された布表紙や豊富に散りばめられた小間絵・写真図版といった、あたかもそれ自体がひとつの工藝的な作品であるかのようになされた、たくさんの装丁における工夫を見つけることができる。また、生まれ故郷の鳥取県で耳鼻咽喉科医院を営みながら「山陰新作民藝運動」を主導した吉田璋也と柳の交流など、民藝運動の進展とともに日本全国に広がった人/モノ/情報のネットワークも同展で提示された重要な視座である。これらの観点を際立たせる展示上の戦略は、民藝運動を「芸術運動」たらしめていた見落とされがちな要素に新鮮な光を投げかけていた。

 

 批評家の清水穰は「民藝の100 年」に寄せたレビュー(このレビューはオンラインで読むことができる)のなかで、この展覧会は民藝に関する「どの主題も満遍なく扱われ」た「教科書的な」ものであったと評価し、しかし「この「教科書」は検定されて」いたと指摘する(清水穰「民藝のための婉曲語法。東京国立近代美術館「民藝の100年」展レビュー」Tokyo ArtBeat、2021年12 月12 日)。この「検定」の過程でさりげなく後景へと退けられた要素(のひとつ)は、民藝と植民地主義とのひそやかな結びつきである。たしかに「民藝と戦争」のセクションでは戦時体制と民藝運動の結託に言及がなされていたが、植民地であった朝鮮の工芸の特徴を女性的・受動的な「悲哀の美」と規定した父権的「植民者」としての柳の姿は当該の「教科書」からこぼれ落ちていた。だが、本展の「行間」を読むことは可能だ。たとえば、普段はツイードの三つ揃いスーツという「文明的な」洋装を好みながら(展覧会では盟友の河井や吉田が愛用していたツイードスーツが展示されていた)、戦時下の国策的な対外宣伝グラフ誌『NIPPON』では「伝統的な」和装で日常生活をお披露目する柳の姿があった。ここには欧米列強への拭いがたい劣等感に拘束されながら、他のアジア諸国に対しては西洋からの解放のための闘争における盟主として振る舞う後発性帝国主義国家のねじれが象徴的に示されている。つまり、「民藝の100 年」にはその語られざる行間を読むだけの十分な全体像が示されていたと言える。

 

展覧会名:柳宗悦没後60 年記念展「民藝の100 年」

会期:2021 年10月26日(火)~2022 年2 月13 日(日)

会場:東京国立近代美術館


山本浩貴

1986年千葉県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、ロンドン芸術大学

にて修士号・博士号取得。2013~2018年、ロンドン芸術大学トランスナショナルアート研究所博士研究員。韓国・光州のアジアカルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラルフェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教を経て、2021年より金沢美術工芸大学 芸術学専攻―SCAPe講師。著書に『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(中央公論新社、2019年)など。