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日本美術会「戦犯リスト」をめぐる、いくつかの疑問(1)

北原 恵(大阪大学元教員)

1)はじめに
 アジア太平洋戦争中に戦争画を描いた画家たちは、戦後、どうしたのだろうか?
 責任の追及や議論はどうなったのか? 他の美術史研究者と同様、私にとっても関心のあるテーマである。特に軍部に積極的に協力した長谷川春子※1など、戦時下の女性アーティストたちの「戦争」と「戦後」は、いつも気になってきた。
 戦争画研究では、1946 年に結成された日本美術会が、創立後すぐに戦争責任の追及の動きを見せ、「美術界に於て戦争責任を負ふべき者」のリストを作成し、個人や団体の名前を発表した、とされることが多い。その「自粛を求める者」として挙げられた14 名のなかには、長谷川春子の名前が、そして「反省を求める者」の団体に女流美術家奉公隊が含まれているのである。周知のように美術会での戦争責任問題はその後、うやむやになってしまうのだが、この「戦犯リスト」は、誰がどのように作成し、誰に対して発表するに至ったのか?
 件の「戦犯リスト」は、1946 年7 月5 日付の『日本美術会々報』(第3号-1)に掲載されたという。では、リストの原資料はどこにあるのだろうか?
 このリストについて論文中で紹介している知り合いの美術史研究者に尋ねたが、原資料は見ておらず、その後の文献の引用だという※2。しかも、『日本美術会々報』の第3 号は、同年7 月10 日付で再度発行されており、こちらの方は現物が残されているが、それには戦犯リストは掲載されていない。そこで、戦犯リストの載った7 月5 日付の会報の現物をどうしても見なくてはならないと思った。2021 年暮れのことである。
 まず日本美術会の『美術運動』編集部の木村勝明さんに尋ねたところ、このリストは自分も見たことがないので、日本美術会資料部に尋ねてほしいとのことだった。そこで資料部に聞くと、「このようなリストは日本美術会は発表していない」し、資料部にも残っていないとの返事だった。さっそく大きな壁にぶつかったが、資料部の小西勲夫さんは、親切にも日本美術会発足当時からの「会報」を集めた貴重なDVD を送ってくださった。最近三人社から復刻された『美術運動』の関係者たちにも尋ねてまわった。だが、よくわからないままだった。そうこうしているうちに、木村氏からはこの問題について原稿を書くように依頼を受けた。私の方が尋ねているのに?
 いまだに7/5 付の会報は現物もコピーも見つからず、どうして「戦犯リスト」発表が既成事実になってしまったのかも、よくわからないのであるが、本稿では、まず1946 年の戦犯リスト作成・再審議の経緯と、その後の言説や、リストがどのように研究資料のなかで引用されてきたのかについて、まとめることにした。


1 長谷川春子は、女性アーティストとして唯一「大日本陸軍従軍画家協会」(1938 年、翌年陸軍美術協会に)の発起人に名前を連ね、1930 年代から満洲、蒙古、中国南部、フランス領インドシナなどの占領地や戦地を訪れて、日本軍の「活躍」を洒脱な文章と絵画で伝え、1943 年には女流美術家奉公隊を結成した。北原恵「戦時下を生きた女性画家と“越境”:長谷川春子・谷口富美枝・新井光子」『ジェンダー研究:お茶の水女子大学ジェンダー研究所年報』25、2022 年を参照。https://teapot.lib.ocha.ac.jp/records/2000547

吉良智子『女性画家たちの戦争』平凡社新書、2015 年、p.183。吉良氏からは南博編『戦後資料:文化』など戦犯リストを紹介した文献をいくつかご教示いただいた。


北原 恵 / きたはらめぐみ

美術史・表象文化論・ジェンダー論

著作に『アート・アクティヴィズム』、『攪乱分子@ 境界』、『アジアの女性身体はいかに描かれたか』他。