北原 恵(大阪大学元教員)
(4)今後の課題
本稿では、1946
年の「美術界に於て戦争責任を負ふべき者」のリスト作成の経緯と、リストや二種類の『会報』をめぐるその後の言説を簡単に整理した。言説の波は、敗戦直後の1946年以降は、二回の波があったことがわかる。まず、戦争責任論が盛んになった1957年から60年にかけて、日本美術会内外での議論が起こり、毎日新聞記者の船戸洪吉の『画壇:美術記者の手記』での記述が、その後の言説でくり返し語られ定説になっていった。次に1972年になると、日本美術会は中身を公開しなかったものの、2回の第三号の発行やリスト作成を認め、73年、国民文化会議が幻の7/5
付『会報』を公開して(担当は針生一郎)、今日の研究者の典拠となった。また70年代から菊畑茂久馬の戦争画論が人口に膾炙していく。
その後は、美術評論家の中村義一が戦犯リストと7/5 付『会報』を簡単に紹介した(1982 年)※21。一方、「美術界の戦争責任」に直接関わった永井潔自身が『美術運動』での連載など、当時の内情を何度も回顧しており、大変興味深い。だが、肝心の戦犯リスト作成の経緯や2 回の第3号発行については触れていない※22。2013年、飯野正仁による詳細な戦時下の年表『戦時下日本美術年表』が出版され、菊畑や中村義一を典拠として、年表に7/5 付戦犯リストが紹介されたが、7/10 付会報についての記載はない※23。
最近の研究で重要なのは笹木繁男の『藤田嗣治:その実像と時代(上下)』(2019 年)であろう。このなかで笹木は、美術史においてほぼ定説となっている「藤田スケープゴート説」や内田巌の藤田嗣治訪問・戦犯言い渡し説を、藤田から内田に送った手紙や当時の状況を検証して、再検討を要すると述べている。笹木によれば、1946年6月20日に文連に持参した「戦争責任を負うべきリスト」は、「会員の討議を経ていないとして受領を拒まれ、返却されるといった事態になった」※24 という。そのため日本美術会は、該当者リストそのものを取り消す処置をとる。「自粛勧告決議が白紙にかえったのである」と結論づけている。「受領を拒まれ、返却された」という根拠も明示されておらず、藤田の専門家でない私には今すぐに笹木のこの研究を評価する能力はないが、彼の問題提起と検証は重要である。
また、今回は時間切れで調べきれなかったが、GHQの文書にもとづいて文連の戦争責任に関する追及活動を調査する必要がある。事実、短期間で調査しただけでも、国会図書館の憲政資料室には、文連について報告したGHQの文書が数多く残されていることがわかった。GHQのCIS(民間諜報局)とGS(民政局)は、文連の出版物を収集して組織構成や活動を把握した文書を多数作成しているのである。
1946 年のCIS 文書には、文連の活動として、「文化界の戦犯調査委員会」や「文化界のパージ実行委員会」の活動も記載されているが、日本美術会や他の文連所属団体の作成した戦犯リストは、今のところ見つかってはいない。仮に文連がGHQにリストを提出していたのであれば、これらの行為は確実にGHQ 内で報告されるはずであるから、リストの提出は行われなかった可能性が高い、というのが、私の現時点での推測である。GHQと文連の関係については、今後の課題としたい。
本調査を通じて、おそらく、日本美術会は一旦「美術界に於て戦争責任を負ふべき者」のリストを作成したものの、その後撤回(または保留)しており、美術史の記述として「リストを公表した」とは言えないのではないか。もしリストについて言及したり、7/5 付会報を引用するのであれば、本問題の再審議(7/10 付会報)についても触れるべきである、というのが暫定的な結論である。
また本テーマとは直接関係ないが、今回、日本美術会創立の頃の『会報』を読んでいて、目についたのは女性画家の存在である。会の事務局には、堀文子や赤松俊子、柴田安子らの名前が散見され、男性中心の組織に於いて彼女たちの活動がどのようなものだったのか、もっと知りたいと思った。戦時中に長谷川春子の結成した女流美術家奉公隊にも参加した赤松俊子は、日本美術会の「美術界粛清問題」委員会のメンバーにも名を連ねているが、どのような関りをしたのだろうか。
日本美術会※25ついても敗戦直後の美術状況についても明るくない私の始めた今回の調査は、まだまだ途中経過報告に過ぎない※26。間違いや新たな情報があれば、ご教示を賜り、これをきっかけに幻の『会報』(3号-1)に出会えることを期待したい。
※21 中村義一『日本近代美術論争史(続)』求龍堂、1982 年。
※22 永井潔『あの頃のこと 今のこと』日本美術会、2008 年。初出の『美術運動』での永井の連載(1988~1998年)は未見。他に、永井潔・北野輝・鳥居敏文・杉本博・稲沢潤子「座談会:戦争と美術」『民主文学』(413)、2000 年3 月号:北野輝「戦争画の評価と戦争責任問題」『前衛』(834)、2008 年9 月号も参照。
※23 飯野正仁『戦時下日本美術年表』藝華書院、2013 年、pp.1144-1145。
※24 笹木繁男『藤田嗣治:その実像と時代(上下)』現代美術資料センター、2019 年、下巻p.190. 同書については、2022 年10 月31 日に開催された「美術運動≪復刻版≫刊行記念シンポジウム」(日本美術会)において、熊田真幸氏よりご教示いただいた。
※25 創立当初の日本美術会については、河田明久「日本美術会:一九四〇年代の夢と現実」『近代画説』28、2019 年が、美術史の観点から再検証を行っていて多くを学んだ。河田氏に尋ねたところ、7/5 付のリストは実見していないが、重要な資料だとの意見であった。
※26 今回の調査に当たっては、日本美術会の木村勝明氏や小西勲夫氏を始め、多くの方にご教示をいただいた。記して感謝したい。
北原 恵 / きたはらめぐみ
美術史・表象文化論・ジェンダー論
著作に『アート・アクティヴィズム』、『攪乱分子@ 境界』、『アジアの女性身体はいかに描かれたか』他。
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