LEE Jung Seob (イジュンソブ) 「百年の神話」 韓国国立現代美術館・徳寿宮館 生誕100年記念展

(編集・木村勝明)

2016年9月29日公州市での3日間の文化交流を終え、ソウルに帰った日、この韓国の国民画家と呼ばれる人の生誕100年記念の「百年の神話」展を訪ねることが出来た。ソウル市庁舎の広場に面して古くからある徳寿宮の奥にある韓国国立現代美術館・徳寿館で開催。李仲燮(イジュンソブ)1916生-1956没 39歳で亡くなっている。彼を知らしめることになったのは、戦禍の犠牲者、奥さんは外国人(日本人)子供が出来たが会う事が出来なかった不幸、画材の無い中で、煙草やチョコレートを包む銀紙に傷をつけるようにして描いた銀紙画が有名になったが、貧困と病気の中で短い人生を終えることになり、そうした物語としての不幸な時代の悲惨な結末として、語り継がれ、映画や演劇にもなった。つい最近も日本でドキュメント映画が作られ、「ふたつの祖国、ひとつの愛」テレビ放映もあって、生誕100年に向け、その韓国近代美術の代表的な画家としての話題と世評の定着に、本展示会はほぼ決定的な意味を持ったと思われる。大勢の観客、ご婦人方、学生とともに会場を見て歩いた。今回一部屋に彼が日本に居る家族に送った手紙が沢山展示してあり(日本語で、絵も描いた)研究が進んでいるという証左なのだろう。これを見て私は感動を抑えることが出来ず、涙を隠すので精一杯になった事を思い出す。それほど愛情ほとばしる李仲燮(イジュンソブ)の心が表出されていた。

 

 李仲燮(イジュンソブ)は富農に生まれ4歳の時父が亡くなり、絵を描く少年となり、五山高等普通学校で西欧帰りの美術教師、イムヨンリョン・ペクナムスン夫妻の影響を受け、20歳の時日本に留学して、帝国美術学校を経て、文化学院美術科に学び、講師の津田正周に激励を受け、自由美術家協会の第2回展の協会賞を受賞、3回~7回まで出品。日本でも注目されていた。しかし時は日本帝国の植民地時代、太平洋戦争の末期の頃、同じ文化学院美術科に学んでいた山本方子と愛し合い、裕福な家庭でプロテスタントだった山本家は反対することは無かったという。詳しく調べると戦争に翻弄された李仲燮・山本方子結婚生活は厳しい嵐の中をさまよう家族、難民の悲劇を被ったと言えるのだろう。

今個人美術館がある、済州島に一時避難していた西帰浦(ソギボ)も朝鮮戦争から逃れるためであり、有名な銀紙画も釜山まで朝鮮戦争から逃れた時期の制作だった。

栄養失調などで方子さんと子供さん二人は日本に避難。国交が回復しない当時の事情で会えなくなった家族は、李仲燮が体を病み、39歳の若さで亡くなり、悲運の画家になったが、それは朝鮮の悲劇の一部であり、朝鮮民族の「恨」というメンタリティーと同調している。しかしこの国民画家の、引き裂かれた家族への手紙は、その愛情ほとばしる内面世界によって、また銀紙画の愛の表出という表現行為よって、「恨」を止揚し超えたのではなかろうか?そんな事を思うのである。