日本美術会「戦犯リスト」をめぐる、いくつかの疑問(4)
戦争と美術 · 2024/04/07
(4)今後の課題  本稿では、1946 年の「美術界に於て戦争責任を負ふべき者」のリスト作成の経緯と、リストや二種類の『会報』をめぐるその後の言説を簡単に整理した。言説の波は、敗戦直後の1946年以降は、二回の波があったことがわかる。
日本美術会「戦犯リスト」をめぐる、いくつかの疑問(3)
戦争と美術 · 2024/04/07
(3)日本美術家の「戦犯リスト」をめぐる言説 ①敗戦直後、リスト作成までの言説――GHQ の公職追放令  リスト作成に最も影響を与えたのはGHQによる公職追放の動きであろう。1946年1月4日、GHQ は日本政府に「公職追放令」を通達し、追放の範囲をAからGまで7項目に規定して1948年5月までに20万人以上を追放した。美術家や文化人たちを怯えさせたのが、最後のG項「その他の軍国主義者や極端な国家主義者」である。

日本美術会「戦犯リスト」をめぐる、いくつかの疑問(2)
戦争と美術 · 2024/03/31
(2)1946 年リスト作成・再審議の経過  まず、1946 年の「美術界に於て戦争責任を負ふべき者」のリスト作成の経緯について、『日本美術会々報』(以下『会報』、3 号-1 及び3号-2も含む3)をもとに、簡単に振り返っておこう。  1946 年4 月21 日、日本美術会が結成される。72 名のメンバーと来賓が目白の自由学園講堂に集まった。
日本美術会「戦犯リスト」をめぐる、いくつかの疑問(1)
戦争と美術 · 2024/03/30
1)はじめに  アジア太平洋戦争中に戦争画を描いた画家たちは、戦後、どうしたのだろうか?  責任の追及や議論はどうなったのか? 他の美術史研究者と同様、私にとっても関心のあるテーマである。

今、先人に語ってほしい ― 戦争・美術・未来―
エッセイ · 2024/03/30
 いなお氏の年来の素材、技法、大小様々な作品に満ちた好文画廊の空間。その二階のテーブルの周りに二重三重に並ぶ椅子には参加者の輪。司会進行はいなお氏でした。  まず、リモート形式の参加となった古澤氏に、イラク戦争に題材をとった連作の制作動機をうかがう。「日々、何千何百何十何人と伝えられる死者数だが、それは単なる数字に還元できないはずのもの。素朴な方法ながら、その数だけ一人ずつ異なる人型で表して画にしようと思った」とのこと。並行して参加者に氏の作品集も回覧され、氏の発想と表現、そして思いの深さが伝わってきました。
原子力サブカルチャー
エッセイ · 2024/03/28
 2022 年年初1月4日 19 時20分、 核保有国でもある国連安保理常任理事国のアメリカやロシア、中国、フランス、イギリスの5カ国は「核戦争に勝者はいない」と、核兵器の使用と核の拡散防止に対して共同声明を発表した。大変喜ばしい声明のように聞こえた。しかしよく考えてみると、自分には核さえ使わなければ何をやっても良い、要するに凶器さえ使わなければなんでもありのプロレス宣言であり、戦争でも始めるのかと感じたのだ。

画廊業へcome back
エッセイ · 2024/03/28
昨年秋に入間市の美蔵画廊よりオファーを頂き、1 か月ほど悩んだ末画廊の仕事に復帰することになった。以前私がやっていた、ギャラリー木蓮から50m ぐらいしか離れていない距離で、スーパーの2階にある画廊である。エレベーターやエスカレーターもついていて、買い物のついでに立ち寄る客も多い。今までは買い取りで収集した作品を精選し、季節ごとに展示替えしながら営業を続けてきている。
リゾート・アイランドの光と影 フィリピン・セブ島(マクタン島)印象紀行
エッセイ · 2024/03/27
セブ島の洗礼  目覚めるとベッドを滑り降り、分厚いカーテンを開くと突然閃光が室内に飛び込んできた。射られた目を一瞬閉じてから、ゆっくりと開くと眼前は一望の明るい青。水平線の先には沸き立つ白い夏雲。その下は深い群青。

今日こそを、私達は、生きている
海外の展覧会 · 2024/03/27
韓国・唐津(タンジン)市内に、工場を改築した永津鉄鋼美術館が誕生した。経営は鉄鋼会社である。2022 年11 月10-30 日迄。オープン展には、韓国のアーティストが60 人程参加し、マグロの解体ショー、ロックバンド演奏などで盛り上がっている。
沖縄の復帰50年・「美術運動」総力取材
戦争と美術 · 2024/02/24
沖縄県立博物館・美術館の一日  博物館は大阪の高校生の修学旅行生で混んでいた。三山時代(戦国時代)を経て琉球王国、薩摩藩による琉球支配。琉球王国は独立の形を保ったが、明貿易の利権を薩摩が奪う。

さらに表示する