沖縄を描き続ける女性アーチストの軌跡 宮良瑛子展「いのち」

坪井功次  つぼいこうじ (日本美術会会員・関西美術家平和会議)

2016年4月26日~10 月16 日 沖縄県立博物館・ 美術館

親子の鑑賞者に案内と説明―宮良瑛子
親子の鑑賞者に案内と説明―宮良瑛子

沖縄で活躍する宮良瑛子さんの作品が、沖縄県立博物館・美術館に寄贈されて記念の展覧会が開催された。約半年間の会期だったが、所用があり最終日に会場を訪れる機会を得た。 会場の沖縄県立博物館・美術館は2007年に博物館と美術館をあわせもつ総合文化施設として開館した。外観はコンクリートの塊のようだが、琉球石灰岩を用いられた柔らかな白色の壁面は曲線的で威圧感がない。館内は広く明るい、高い吹き抜けが開放的で、午前中に訪れた今帰仁城跡(1609年に薩摩による侵攻で炎上、主なき後城壁が残り、現在は世界遺産になっている)を思わせる。

 代表作をはじめとして30点の絵画とブロンズ像1点が寄贈され「宮良瑛子展 いのち」として企画展示された。2階入口にブロンズ像「水底のうたー沖縄県戦持船舶遭難の碑ー」が立つ。首から肩に至る緩やかな流れから背後に視線を移すと腰・脚に至る量感が女性の力強さを感じさせる。手を合わせ、身を乗り出すようにたたずむ姿は眼前に広がる海を感じさせる。入口の壁面には制作をする宮良さんの写真が構成されたパネルがあり会場へと誘う。今日までの歩みが時代背景とともに詳細な年表で紹介されて、美術館が本格的に取り組んだ企画である事を思わせる。1966年の「自画像(二男をおんぶして)」にはじまり2009年の「漂泊の島より一辺野古断章j まで30点が2階・3階に並ぶ。5年前の作品集出版記念展で市民ギャラリを埋め尽くした100 点を超える作品群に深く感動した事を思い出す。あの時の熱気には及ばないが、一点一点が余裕を持って展示され、初期から今日に至る創作を知ることが出来る。アンマーを描いた「女たちJ 、シリーズ「焦土より」「無辜の民J 、戦禍を悼む「レクイエム沖縄」、そして沖縄への想いを託す「辺野古断章」の作品の流れは、充分に作家の心を伝える。今回の寄贈作品の選択は全て美術館学芸員によると云う。もちろん、宮良さんの画業を熟慮されて細やかな配慮があったと聞く。作者には自作への独自の想いもあり、選択には若干の相違があったのは仕方ないだろう。他者には他者の想いあり、私自身もこの他にも印象深い作品が何点もある。 妻として、母として、社会に目を向ける大和人(ヤマトンチュウ)の女流画家が沖縄で暮らし眼にしたものは、この地で生きる女性たちであり、戦禍に見舞われ今なお苦難を強いられる民衆への共感であり、その想いは他国の人々にも向けられる。タイトルにある「無辜の民」という言葉は全作品に貫かれている。かつて沖縄は「琉球王国」という国であり、薩摩の侵略、日本からの蔑視、沖縄戦の犠牲、アメリカの統治下、本土復帰しての不平等、数々の苦難の歴史を経て独自の文化意識を持ち、自らを「ウチナーンチユ」と呼ぶ。宮良さんがこの沖縄に受け入れられたのは、女流美術協会・沖縄平和美術展の活動を通じて、ときにはプロパガンダと言われても、大衆のなかで創作してきたことが今日の結果になった。このことの意味合いは大きく彼女に連なる沖縄の創作者の希望になり、人と社会を見つめ創作する日本美術会の大きな励みとなる。彼女は「ウチナーンチュ」 になったのだ。

 突然の来館に驚かれた様子だったが、閉館間際まで多くの話が出来て嬉しい時間を過ごせた。「美術館が全て企画して、本格的な展覧会でビックリしたの」少し照れながら話し、嬉しそうに「沖縄で制作して来て本当に良かった」と語り「大都市ではない沖縄だから出来たこと」と話す。そうかもしれない。しかし、沖縄の歴史を抱え大衆のなかで創られたこれらの作品を守る事はこの地の責任でもあると思う。「私、歳を取って3cmも縮んだの」と言う。(ああ、この人のすり減った身体は全て作品に昇華したのだなと)とひそかに思った。名残惜しいが時間となり再会を期して会場を出る。振り返れば美術館は沖縄の文化を守る城(グスク)のように見えた。過去の遺産だけでなく、これからも生まれるだろう文化・芸術の砦であって欲しいと願って会場を後にした。