まつやまふみお研究会の発足

松山晋作

2010年はまつやまふみお没後28年になり、

その人や作品を知る世代がほとんどいなくなっている。前年、上田市の平林堂で回顧展が開催され、続いて出生地である長和町(現)でも町の文化祭と併設で企画展が行われた。両方とも近隣の所蔵作品も出品され盛況であった。このとき没後30年をめどに東京でも回顧展を開催してはどうか、さらに単発の展覧会のみでなく、研究会を開いてふみおの生きた時代の美術運動を再発掘しながら次世代につなげることが必要ではないか、という提案があった。確かに、これは今やらなくては今後ますます困難になると考えられる。2010年6月、安保改定50年を節目として「1960年代の波動展─絵画は時代とどう向き合ったか」(みずさわ画廊企画、日本美術会後援)が開催された。井上長三郎、小野忠重、金野新一、中谷泰、中島保彦、まつやまふみお、宮下森、吉井忠の物故作家の作品が、現代に再陳されたことは時宜を得た企画であった。その折りに本研究会を提案したところ、何名かの方々から参加の希望が寄せられ、発足のための準備会がもたれた。準備会には、漫画関係から石子順、倉田新、日美関係から渡辺皓司、山本良三、宮下泉、それに水沢武夫、松山晋作が参集した。

 第一回研究会は、2010年12月5日、目美アトリエで開催され26名が参加した。日美の首藤教之会長は、漫画家と美術家の底にある問題点を探る貴重な会合であり、もっと早くやればよかったとあいさつ。漫画家会議からは田村久子さんが、「厳しい大きな絵を描いたまつやまさんの魅力を今の若いひとに伝えることはとても大事。足腰が弱くなり参加できないが、研究会を開いてくださりありがとう」とメッセージを寄せた。発足記念報告は、石子順氏が「まつやまふみおとその周辺と」と題して講演した。まず、ふみおとの交流のいきさつや、画集、年譜作成の裏話からはじまり、「まつやまふみおの漫画はどうやって生まれたのか」として、ドーミエの政治風刺漫画、チルレの裏町の子供スケッチが漫画と童画という二つの重要な要素になっていることを、スライドを用いながら解説。「まつやまふみおの漫画観」を大衆性、笑い、批判的、誇張というキーワードで概観した。「漫画の種類」には、似顔絵、風刺と暴露、比喩と象徴、煽動・宣伝、生活や風俗などがあり、漫画家にとっては、写生力、発表の場、熱気が重要な基盤であることを、漫画史の事例を示しながら紹介した。現在、一コマ漫画不調のなかで、いまなぜこの研究会を発足するのか。戦争と平和の問題を訴える力、広める力をどうやって育てるか。まつやまふみおの漫画を知り、資料を集め、ほかの作家との関わり、30年代のプロレタリア文化運動を掘り起こす、などを課題として研究する。その土台に立って、没後30年展や一コマ漫画小展を企画、漫画普及版ブックレットの出版、などを成果として次世代へ継承していきたい、というのがこの会の主旨であることを述べた。

 討論としては、政治一コマ漫画の衰退は確かで、後継者がなぜ育たなかったのか、などの疑問が出された。漫画の現場から倉田新氏は、まつやまふみおのいう「熱気」とは、いまでも存在する風刺のネタとしての政治悪の状況だけでなく、岡本太郎も云っていたように、若者が突き上げるもの、それが制作意欲を促したという熱気であった。描く力量や発表の場も不満足な状況で、漫画家たちも継承の努力はしているがなかなか難しい。日美の新美猛氏は、京都での日美展で一室をまつやまふみお遺作展示に当てたことがあり、壮観だったが、その後、日美として作家の研究などがやられていなかったと反省。一方、柳瀬正夢研究会には学芸員などが集まっていると聞く。こういう研究者たちにももっと宣伝すべきであろうと発言した。石子氏は、童画については、安泰さんなども含めてちひろ美術館で童画展を開くように働きかけてはどうかと提案。まつやまふみおが出した「くまんばち」にちひろが漫画を描いているし、元館長の故飯沢匡氏もまつやまさんを評価していた。ただ原画が手元にあまりないという問題はある。
 今後、研究会は年2回程度の開催で、会報を発行するなど、会の運営体制も整えて活動することなどを話し合った。第一回の参加者は会員として自己紹介しあい、漫画家と美術家が交流した有意義な機会でもあった。

 本文はまだ運営体制が整わない段階でとりあえずの紹介である。今後参加予定の方を含めてご希望者には、当日の資料、石子順作成「まつやまふみおの世界、巻末年譜」、石子講演のレジメ、会報(作成中)を送付します。下記にご連絡ください。

〒192-0914八王子市片倉町1069-120(Fax O42-636-7228)、松山晋作方 まつやまふみお研究会(松山記)