真夏の「日韓美術交流東京展2010」とこれから


会報や日美ホームページ、目黒美術館の区民ギャラリーでの交流展のパンフレット、その後制作されたCD-Rのドキュメンテーションなどでほぼ全容は公にされているので、その繰り返しはやめる。ただこれだけは言える。相互に交流展だけではなく、人物交流を大きな規模で進めてきて、隣国との相互理解という点で会の今までの歴史には無い、市民レベルの文化交流が進んだという事だ。会の歴史的な経過、世界史的な転機(ソ連東欧社会主義国の崩壊)を超えての交流が新局面で展開されたという事なのだろうと思う。

昨年の遠矢国際部長が目黒美術館を抽選で押さえたことから、今展の充実した展示に繋がったわけだ。市民レベルの国際交流は相手の団体の事情も、こちら会の内部事情と同等の権利を持っているので、そう簡単な調整では済まない。打打発止のやり取りの中で進められる。事務的な問題だけでなく、大変な負担がその担当者にかかる。細かくは列挙すると長くなるので割愛するが、実際やってみないとわからない苦労があるのだ。
そして、大切な事は、新しい展開(個人的にも、京都の交流の広がり、若い人の交流の広がりなど)の交流が拡大していることであろう。これこそ相互理解の浸透といえるのだ。十数年前の韓国での反日感情を知る者にはその意義を多とみたい。

今回は川越に韓国作家と日本側の作家が一泊したのも相互理解の一環であって、猛暑のでの見物や懇親会だったが、こうした絵だけのことでない幅広い視野というものが文化交流の意義だと思う、もし創作本意の展覧会だったら、キューレションの問題や予算も全然違った規模となり、わが会の実情には合わないところとなろう。8回目を迎えて、予算も自分持ちの楽なやり方に段階的に発展してきたことも伝えておきたい点だ。
アンデパンダン展での国際交流も光州との話が進んでいたが間際に頓挫し、しかし、スペインからの大量出品や韓国からの別系統の出品もあった。というわけで、今後、国際的な美術交流は、もっと予想を超えて展開する気配さえあるのだ・・。(日本美術会国際部・K)