『思考を投擲すべき先』


小野寺優元

NPOの活動が各方面で活発になっています。この考えは「行政」対「民間」という図式において、一方の「民間」の活動を、利益を追求する企業活動と、非営利のNPO活動に分けたもので、現代社会の「何でもカネ」といった風潮を補うものだといえます。古来、祭りの開催など宗教活動や地域の活動は、非営利組織の活動だったのですが、地域共同体の枠組みが崩壊したため、いわゆる伝統的なNPO活動は弱体化してしまいました。

 このような状況の中、税を財源とすることに因る行政の非営利・平等の原則や、企業の需要と供給の関係の中にある利潤追求という姿勢には馴染めない活動が意識されるようになり、ボランティア[自主志願]活動が活発化し、NPO活動は増加傾向を強めています。

 21世紀のアート拠点をイメージしたとき、美術界にある様々な枠組みを取り外し、NPOを立ち上げ「自主」というパワーを結集して、アートを社会の活動の源として活用すべきではないでしょうか。人間の活動を、税の徴収と施策、代金を介在させた需要と供給といった関係の中だけに留めておこうとした結果が、拝金傾向を社会に充満させてしまいました。21世紀のアート拠点がターゲットとして狙うべきは「何気なくふと立ち寄る人」です。そのためには、従来の収蔵・展示という美術館の機能に加え、情報交流、コンビニエンス、アミューズメント、等の機能を複合し、地域との関連を密接にしていかねばなりません。たとえば郷土資料館、ボランティアやトラスト運動の拠点、フリーマーケットや音楽イベントの開催、工芸館、工房の設置、そこを利用してのアーチスト・イン・レジデンス、ワークショップの開催など、他のジャンルとも協働して、アーチストと市民の交流の場を提供すべきです。さらに運営面では、昨今各地に建設された多目的ホールのような、すべて中途半端でどの専門の用にも足りない施設でなく、感性の優れた人材をプロジューサーに仰ぎ、NPOの運営により、そこに来なければ満たされず、何度も訪れたくなるようなアートの拠点を目指し運営されるべきでしょう。21世紀のアートの拠点は、権威主義の衣は身につけず、質の高いアート作品が放つ作家のメッセージやオーラを、おしゃれな雰囲気で楽しめる場です。そして、アートは単なる精神の覚醒や心の癒しとしての役割を果たすだけでなく、多種多様な価値観を提供し、文明の前途に立ちはだかる壁を打破する力を人々に与えてくれるはずです。

 

図らずも2008年から2009年にかけて世界は歴史的な大変革期となってしまいました。未曾有の金融危機が大地震のように世界経済を襲い、世界的な大企業が次々と倒れ、多くの人が損害を被りました。各国の緊急対処療法的経済対策により、わずかに回復の兆しが見えてきたものの、新しい経済システムの姿は見えてきません。2000年、19世紀末の産業発展に触発された芸術運動を思い起こして「世紀末」という言葉がもてはやされましたが、大きな芸術運動は起きませんでした。20世紀は経済が文化を支配しすぎたため、現代社会の経済システムも文化総体も硬直化し、重症に陥ったにもかかわらず、発症が8年ずれ込んだということでしょう。

 このように歴史的大変革期に直面した現在、地域の再生が緊急の課題として浮上し、アートは社会システムの破綻を超えて価値を創造する力を内臓しており、アートは地域再生の切り札だと言われるようになってきました。今、「直島・妻有現象」ともいえる不思議な現象が起きています。瀬戸内海に浮ぶ小型フェリーでしか渡れない「直島:ナオシマ」という小島に「アート」が住みつくようになると、この過疎の小島に「アート」を観るために都会から年間30数万人の人が訪れるようになり、島のみやげもの屋は、てんてこ舞だそうです。一方こちらも過疎に悩む、東京23区を越える面積ほどの「妻有:ツマリ」地域で現在開かれている第4回「越後妻有トリエンナーレ」は、1回目16万人、2回目21万人、3回目35万人と来場者が増加し、今回も数十万人の来場者があったようです。美術館で開催される展覧会に比べ、会場に行くにも作品展示箇所を観てまわるにも、はるかに多くのエネルギーを必要とするにもかかわらず、なぜこれほど多くの人が「アート」を観るために行動するのでしょうか。

 

 20世紀、日本は近代化、経済成長、グローバル化の道を辿り、各地域は独自の文化を破棄し、ライフスタイルも思考も同質化してしまいました。さらに経済にすべての価値観を支配されている私たち現代人の思考は、「サイトスペシフィックなアート」が提起する文明の問題に直面しても、美術館やホワイトボックスにはない、その地域固有のコンフィギュレイト [Configuration:地形・配置・地勢・歴史・地霊といった場のもつ文脈]な情報を受け取ることができず、新たな思考の枠組みを構築するための実験に入れないでいるように思えます。今こそ、地域の固有の様々な情報を、アートを介在として受け取り読解しながら、日本各地で失われつつある地域文化の再生を目指すべきでしょう。実証的な近代科学の人類共通の真理を探究するという思考方法に加え、地域文化の本質に着目し、そこにある有形無形の固有の文化資源を原料に、ボランティアという関わり方で創造性豊かな産物を生み出す、アート的思考を備える必要があるのです。

 

21世紀を生きる私たちには、人類の知恵の総体である文化をのせて、この地球を未来の人たちに引き渡す責務があります。ニュージーランドの原住民マオリ族のシャーマンが直径13mもある巨木の前で『5000年後の子孫のために木を植えよ』と語りかける映像を見たとき、どのように想像を廻らしても5000年後の世界のイメージが浮んでこない己の想像力不足と思考の投擲力のなさに愕然としましたが、今目指すべき方向は見えてきたような気がしました。

   (おのでら ゆうげん  彫刻家・アートディレクター)

 

ベネッセアートサイト直島

http://www.naoshima-is.co.jp/

 

大地の芸術祭

http://www.echigo-tsumari.jp/2009autumn/

「提供=大地の芸術祭実行委員会」