現代史を俯瞰する                            《クロニクル 1947-1963アンデパンダンの時代》を見て


日本美術会会員  菱 千代子


11月7日(日)学芸員の藤井さんのご説明があるとのことで、会員数人と見学することになった。
常設展の扱いであるので、派手な広告もカタログもなく、モノクロームに近い中西夏之の作品が載る地味なパンフレットが1枚あるのみである。

 

第一室に入ると、セピア色にくすんだ、あの時代の空気が漂う。これが日本美術会の部屋であり、後半の読売アンデパンダン展系の作品群とは一線を劃して展示されている。美術館の展示意図は明確であるようだ。


戦火の傷跡も癒えない1946年に結成された日本美術会は早くも美術家の戦争への協力への反発、反省に立脚し、民主主義の旗を高く掲げて活動を開始した。翌1947年には第1回展が開催され、そのすばやい活動振りには大いに驚愕する。その頃この会の中核になった作家達はその当時は20代から30代の若者が多かったはずであるが、戦中は戦争にかりだされ、疎外と苦境の中で懊悩した世代でもある。この間の経緯については会の大先輩である、永井 潔氏の著作に詳しいところである。


まず当時のポスターやカタログ、機関紙の展示が当時のリアルな証言となっている。粟津 潔氏の垢抜けたデザインが時代を先取りした感じで目に止まった。最初の部屋ではこの会のスローガン的な代表作品が出揃っている。


鶴岡政男の「重い手」、井上長三郎の「東京裁判」、吉井忠の「馬鈴薯の皮をむく女」、新海覚雄の「真の独立を闘いとろう」等で重く社会性の強いテーマが続く中、松本俊介の町のスケッチ、森芳雄の母子像や小山田二郎の「鳥女」、など美術の真髄を気づかせてくれる作品も多い。小野木学の作品は静かな抽象と記憶していたのであるが、ここでは激しい筆づかいと凝ったマチエールで、作家の試行錯誤が生々しく感じられた。時代精神と個人の葛藤はどこかで交差し浸透しあうものなのであろう。新海の作品は沖縄にもって行けば今現在でもぴったりはまる臨場感をかもすことだろう。


さて第2室以下の読売アンデパンダン展の空間に入ると、雰囲気ががらりと変わり、色彩も明るく、軽いユーモアを感じさせられるものが多い。世の中は戦争の後遺症から立ち上がり、高度成長へとひた走りつつあった。村井正誠の「黄色い太陽」、靉嘔の「田園」、磯辺行久の「WORK’62-13」、篠原有司男の「思考するマルセル・デュシャン」、毛利武士郎の彫刻「シーラカンス」等々である。タイガー立石や横尾忠則、の作品は東京オリンピックを機に、急速に大衆化したメディア、消費される美術の時代の象徴とも受け取れる。池田満寿夫や工藤哲己や三木富雄の作品はややシニカルな印象である。最後の部屋に控えていたのは2つの巨大なインスタレーション作品である。菊畑茂久馬と中西夏之氏の作品で、これは読売アンデパンダン出品作品をオリジナルとしつつ、1980年代の回顧展をへて、数回にわたり、再制作されたものだとのこと。どこにも具体性はないのだが、両者とも人体を感じさせ、不思議な感情を湧き起こさせる。菊畑の作品は静かに横たわる人身御供を思わせた。中西の作品は遠目には磁石に吸い寄せられた砂鉄模様のように見えるのだが、それが大量のアルミの洗濯ばさみと判明するや、とたんに、体じゅうが痛痒くなり、神経まで逆なでされるような錯覚に陥る。あらゆるストレスにとりかこまれ身動きできない現代人の身体そのものの状態かもしれない。再制作のプロセスはビデオに記録され、会場で見ることができた。これだけぜいたくな展示空間は現代美術館ならではと思えた。


2つのアンデパンダンを通観し、作家の制作態度の違いを痛感する。日本美術会はあくまで現実の生活に目を注ぎ、平和を希求し、庶民的ヒューマニズムを謳っている。対して、読売の方はマスコミによる宣伝効果をねらった派手な色彩、新しい技法が喧伝され、より自由に、より大きくと作品の質量も拡大されたようだ。しかしその結果読売アンデパンダンの方は主催者側が作家側のエネルギーを汲み取れきれず、自壊する結果となった。日本美術会のアンデパンダンがなければ、読売アンデパンダンも無かったに違いない。ともかく一定期間、美術団体に属さない若い作家にとっては両者共に事前鑑査の無い魅力のある展覧会であり、創作意欲を刺激しあう場として機能していたのである。両者を器用に渡りあった池田龍雄も近年になってアンデパンダン形式の展覧会の貴重さを大いに評価した文章を残している。


今回の展示に出品されたものは東京都美術館時代に収集されたものが現代美術館に移管されたものがほとんどなので、8割方はすでに見ていた作品である。それでも時代順に並べてみると、その時代の空気を反芻することができ、未来への隠されたメッセージも読み取ることができるのかもしれない。


常設展は定期的に古い作品をひろげる虫干し的行事のようにもみえるが、21世紀の今となると、アンデパンダンの作品が歴史をきりひらいた重要な歴史資料となっており、博物館としての美術館の役割を大いに認識した次第である。今後もぜひ続けて頂きたい企画である。
これを見た現代の作家達はこれらの遺産をいかに引継ぎ発展させていくのか。大いなる課題を課せられているのであろう。

 

クロニクル展の感想


大野恵子

会場に入り、まず日本美術会の部屋。ガラスケースの中の資料をひとつひとつ見ていくと、戦争が終わって、二度と戦争に協力しない、だれの審査も受けない個としての表現と発表の自由を確保するものとしてアンデパンダン形式が生まれたこと、その歴史と意義が伝わってくる。現在のアンデパンダン展に出品する者として、その歴史と意義をどうつないでいくのか、考えさせられた。作品を観ていくと、全体に平明でわかりやすいものが多い。農村や漁村の風景、肖像画、働く者の姿など、素朴な人間賛歌を感じる。その中で異質な光を放っていたのは、鶴岡政男の「重い手」。その力強い造形に現在も続く時代の重苦しい閉塞感を感じた。

次は読売アンデパンダンの部屋。驚いたのは、性格の異なる二つのアンデパンダンの両方に出品していた作家が多くいたこと。パンフレットにあるように、「どちらも若い作家たちの発表の欲望を掬い上げる場として機能していた。」のだろう。現在はどうだろうか。そういう機能をはたしているだろうか。

次に並んでいたのは松本竣介や国吉康雄など、「異端の画家たち」の作品。読売アンデパンダンの10周年記念に、自分たちを異端の画家たちの継承者として位置づけようとして開いたものらしい。「美術の流れはアカデミズムとかその時代の流行的な形式のなかで巨匠によってつくられていくのではなく、つねに異端とみられる画家たちによって古い壁が破壊され、あたらしい風がふきこまれてゆくものだろう。」という言葉は現在にも通じると思う。いつの時代も作家は異端でありたいと願うものなのだ。

そして読売アンデパンダンではじまった「反芸術」。「反芸術」作家が登場した背景についてパンフレットには、「現実社会において言葉の思想を絵の具で表現するよりも、反絵画的・反彫刻的素材を用いた表現によって現実とじかに接しようとする、そうした生の実感から起こるエネルギーを原動力とする実験を繰り広げることを求めたため」と書かれている。これは今のアンデパンダン展、さらに美術界全体の中の状況にも当てはまると思う。

今は物や素材で何かを作り出すことにとどまらず、「場をつくりだすことがアート」という考えも存在する。外に向かって行動を起し、新しい価値を提示していくことこそアーチストの役割と考える作家もいる。さまざまな表現方法の中で、「ものをつくること」「絵を描くこと」は現代の表現としてふさわしくないのか。絵を描くものとして常にひっかかる問題である。どんなかたちで表現するにせよ、自分の中からの切実な要求から生まれたものでない限り、リアリティーを持つことはできないだろう。では「平面」が自分にとってリアリティーをもつ表現なのか。今まで積み上げてきたことを否定する勇気がないだけなのではないか。否定することでしか今の時代は表現できないのか。少なくとも表現するものとして何かを伝えたいという要求は持っているわけで、伝えるための努力としてもっと自分とってのリアリティーのある表現を追及していくべきなのだろう。

そしてアンデパンダン展をその探求の場としてもっともっと活用すべきだろう。パンフレットにあるように、日本美術会のアンデパンダンが当初からもち続けている「個々人の得た実感をどのように作品に表現するか、作品としてのリアリティーをいかに追求し伝えるかという模索と探求の場としての役割」をひとりひとりが活用していくことが、再び活気のあるアンデパンダン展を取り戻すことにつながるように思う。

大野恵子