左官壁のこと 


泉幸甫

最近、土壁や漆喰の美しさにひかれる人が増えてきたようです。サイディングやビニールクロスにない美しさがあります。
僕は建築の設計事務所をやって、そのような壁をたくさん使っていることもあってか、ほとんどのクライアントが自然の素材を望みます。
しかし20年くらい前は、壁に土や漆喰を塗ることはほとんど不可能でした。今でもそうだけど、サイディング、ビニールクロスの全盛時代でした。ヨーロッパのような先進国でさえ、当たり前のように土壁、左官仕事が立派に使われ、自然と調和した美しい国土の風景を生み出しているのに、新建材によって日本の住風景はズタズタにされてしまっていた。そんな日本の住風景を少しでも変えたいと思い、20年前、左官の研究を始めました。
その頃、既に土壁をやれる職人は殆んどいなくなっていて、それどころかその技術さえ失われつつありました。さらに現代の建物には壁にはエアコンの配管や電気の配線が埋め込まれていて、現代に土壁を使うにはそんなことも解決しなければなりませんでした。
手探りの状態が続き、ようやく先が見えるまでになるのに6~7年。その後は改良に改良を加え、これでよしと言えるようになるまで10年要しました。だから現代の左官仕事と言うのは、一見古いものを今に甦らせる面もあるが、きわめて現代に使えるように試行錯誤で生まれた素材でもあります。
それにしても現在これほどまでに、左官壁がブームになったのは何故でしょうね。
サイディングやビニールクロスに代表される新建材は環境の影響に対し強靭です。それに対し土壁はたやすく雨やの風環境の影響を受けやすい。それは弱点でもあります。しかしそれは言い方を変えると、周りの環境とともに存在する素材とも言えます。ちょっと小難しい言い方をすれば、それ自体で存在するのではなく、風雨のような外的力で自体の形をかえる、関係的(・・・)存在(・・)とも言えます。そんな反近代的な質実さ、素朴さ、それによる深い安堵感が左官の壁にはあります。
また、左官仕事は超!ローテクです。たまたま現場の近くで取れる土を使い、天気次第で工事はできたり、できなかったり。計画的にすべてを進めようとする現代から見ると、なんと現代とかけ離れた原始的な素材でしょう。しかしそれは見方を変えれば、左官壁は現代が失ってまった、人間にとって本当に大事なものは何かを語りかけているようにも思えます。そこに左官が現代に見直される大きな理由の一つかも知れません。
左官仕事はその日の湿度や温度や、たまたま入手した土などの材料、いっしょに働く人の様子を見ながら始まります。臨機応変、出会い頭、その時その時の人間の判断が求められます。
コンピューターはモノの属性をすべて1と0にに置き換え、そこから再構成しますが、左官仕事はモノの属性を観察し、それをあるがままに受け入れ、ちょっとだけ手を加える仕事です。しかし、そのちょっとだけの手の加え方には観察と想像力が必要です。観察と想像というモノと人との親密な交感、手作業は人間が本来的に持っている観察と想像と言う能力を全面的に開放することによって成立する世界なのです。コンピューターは人間の観念によって世界を認識し、それによって世界を支配する硬い世界だとすれば、左官仕事に代表される世界は、そこにある世界をあるがままに受け入れることによって成立する世界、つまりヒトと世界の調和を目指す仕事とも言えます。そのようにして生まれる左官仕事だからこそ、またそれは近代が失ってしまった世界だからこそ、(こんなに理屈っぽく言わなくとも)人々はスーッと自然に受け入れるのでしょう。
しかしそのような左官が持つ世界も、今逆に近代的手法に取り込まれようとしています。
それはどういうことかというと、この左官ブームに乗って観察や想像力を必要としない材料が幅を利かせ始めているからです。既調合(・・・)と言われる水を加え、後は塗るだけ、の製品が出現し、どのような材料を混ぜ合わせ、どんな壁にするか創意工夫が許さなくない材料の出現です。やはりそのような材料を塗った壁は何か硬質です。左官仕事は本来たまたまありあわせの材料を、あるがままに受け入れ、それにちょっと手を加えることによって成立しました。そこには人間が本来的に持っている観察力や想像力を働かせる必要がありましたが、それは一方に楽しさもありました。

左官仕事は大きく二つに分けられます。ひとつは土壁系、もう一つは石灰系です。
土壁系はいわゆる、どろ壁で粘土と砂、藁を混ぜて作ったもの。最も左官仕事の原点で、この粘土、砂、藁の微妙な三すくみの関係で成立します。主体は粘土でその色がそのまま現れますが、粘土には黄、赤、灰色、真っ青な色まで様々にあります。又それを塗った壁の色が地域の色にもなっていたりします。
もう一つの石灰系で代表的なものが漆喰壁です。石灰石を焼いたものに水を加えると消石灰ができますが、それをベースに作ったものが漆喰の壁で、これも世界中にあります。ギリシャを始めとした地中海の太陽に生える真っ白な壁もこの消石灰を塗ったものです。
しかし何れにしろ、地域、風土によってその現れ方は様々で、地域によって取れる材料が変わるし、風土が変われば使い方も異なります。あくまでもヒトは材料、風土に対して受身で、そのことは多様な環境に対して受身であるだけに、作られたものには多様な世界が現れることになります。一方先ほどの既調合の材料にはそれがありません。
左官の世界には自由が満ちています。どうでなければならないと言った決まり事はないと言ってもいいくらいです。身近にある素材を観察し、想像し、利用しそれぞれの風土の中で使われてきただけです。あえてこうしなければならないということがあるとすれば、①雨で流れ落ちないこと、②割れないこと、③剥離しないことぐらいでしょうか。

ここに来て土壁、左官仕事のブームです。私はその火付け役の一人ですが、正直言ってここまで広がるとは予想外でした。しかし最近の左官ブームを見ていると左官が本来持っている自由さが感じられなくなっています。又その自由さを喪失した既調合という塗り壁は、戦後の日本の住宅が辿った規格化、産業化、商品化と同じ道を歩み始めています。本来左官と言う仕事はそれに最も反撃を食わせる可能性をもったはずのものでしたが・・・・。