三つの朝鮮美術展から思うこと

  • 日本民藝館での「朝鮮陶磁-柳宗悦没後50周年記念展」
    ~6月27日まで(東京)
  • 「柳宗悦 朝鮮とその藝術 展」(柳宗悦没後50年・韓国文化院新庁舎オープン一周年記念事業)(東京)6月9日~19日
  • 「淺川伯教・巧が愛した朝鮮美術」 高麗美術館
    (京都)6月12日~8月15日

相次ぐ三つの朝鮮美術展はその二つが柳宗悦没後50周年の記念として開催され、その柳と親しく親交を結んだ淺川兄弟を冠した朝鮮美術展は、何か心を打つものがある。それは何か?

日本民藝館の朝鮮陶磁のコレクションを見てきた。それらはよく知られた陶磁達で、美術雑誌などでも紹介されてきたので、親しんできた陶磁たちでもあった。なんとも大らかで、野に咲く花のような慎ましさと同時に、微笑みかけてくるような、人間賛歌がそこにはあった。

日韓併合時代の政治・経済と急速に変化し、矛盾の吹き出た時代に、柳宗悦や淺川伯教や巧、多分ソウル白樺派とも言える一群の人達は、朝鮮の美を発見し、それを愛したのだったが、時として植民地の矛盾に対して憤慨し、朝鮮の友人達への共感と日本の武断的強圧に遺憾の意を示したのだった。(大正時代・1920年前後)

柳の「朝鮮人を思う」(読売新聞・1919年5月20日~24日) 「朝鮮の友に贈る書」(改造・1920年)「失はれんとする一朝鮮建築の為に」(改造・1922年)などの有名で、英語や朝鮮語で当時翻訳もされ大いに影響を持った論文を発表し、当時は少数意見であっても、歴史的に見ると日本人の尊厳を守る事になった。しかし当時は大変危険な行為だった。

朝鮮の美への愛が、時として社会的不公正や独立運動への弾圧への抗議として柳の論文を通して発せられたが、その後の武断統治政策から文化統治に路線変更した総督府への何らかの影響があったと見るべきか、利用されていったのかは両面あるのだろうが、先駆的であった事は間違いなかった。その後の「朝鮮民族美術館」設立(民藝運動の原点がここにあると言われている)の運動は、そうした朝鮮の美への情熱から始まっているわけであった。

今回柳宗悦没後50年という時期に、三つもの朝鮮美術の展覧会が偶然あると言うことに、そういう朝鮮植民地時代の歴史を重ねてみる時。胸に熱くこみ上げるものがあるのだ。今回、日本民藝館の朝鮮陶磁や木工芸や螺鈿など見入って、新しくオープンした柳宗悦の家屋公開日に当たっていて、見学もして、彼をより身近に感じて、歴史的に視野を広げてみて、此処から学ぶものは今日も多いと思った。若い人に是非知って欲しいし、先ずはその大らかな工芸品など、朝鮮の美から味わって欲しいと思ったものだった。
(本誌編集 K.K記)