九条美術展の今日的意義

光山 茂

  私は2005年6月に出された「九条美術の会」アピールに即時に反応して賛同しました。かって日本のファシズムは絵画を戦争遂行に利用しました。有為な美術家はそれに答えて技術の限りを尽くして戦意高揚画を描きました。彼等は九条下の平和な日本で何事もなかったように美術界の大御所として君臨したことは、どなたもご存知の歴史的事実です。

 九条美術の会は特定のイデオロギーや、芸術に関するイズムで結合したものではなく、ましてや利害でむすびついた美術団体でもないところが重要です。世界に誇りえる日本国憲法、とりわけ九条のもつ恒久平和主義を守ろうという理念で結ばれたという点で日本美術史に新たな地平を開きはじめました。これは単なる美術運動ではなく美術家の良心の結集だといえましょう。

 日本軍の死者155万人、負傷、行方不明30万人、空襲、原爆の犠牲者及び諸外国での死者100万人、それぞれに家族があり暖かい人々の絆があったのです。ところが一億総玉砕も厭わずと言っていた日本軍も国民も占領軍には殆ど逆らう事なく、あっという間にアメリカ様様となびいてしまう我が国の民族性は戦後60余年たっても健在でした。独立国家なのだ、押し付けられた憲法から「美しい国」日本にするためには改憲が不可欠だ、などの論議にそうだそうだとのってしまうのも日本民族の特徴でもあります。このような付和雷同的な国民性は美術の世界も例外ではありません。

 ひるがえって日本における美術家の社会的な在り方を見てみます。近世まで、多くは権力の庇護のもとに、それらの居住空間を飾るものか、神社仏閣の要求、すなわち宗教に奉仕するものかに大別されました。ここでは制作者の主体性など入り込む余地はなかったと言えましょう。

 近代の美術家はどうでしょうか。1907年設立の文展は美術家の大部分を文部省という国家機関が取り込んでしまいます。美術家はそのなかで権威づけがなされその縛りのなかでのヒエラルキーが確立されてしまいました。これらは延々現代の美術団体にも受け継がれ、その中での権威づけや営業的な経営などに目が向けられ現実社会への対応は疎かにされています。

 現代の美術家がよく唱える表現の自由とか会の民主的運営などを超えた、九条の会アピールに賛同した美術家の展覧会が発足一年後ギャラリー沙画夢で90名が結集して開催され、本年9月22日から27日まで埼玉県立美術館で180余名の美術家の参加で九条美術展が大きく成長して、その姿を現しました。

 会場には大家から新進気鋭、あらゆる表現法の作家が熱く鑑賞者に語りかけているのが印象的でした。九条に関するプロパガンダ的な作品は少なくそれぞれの表現法を貫いているところが今日の作家の見識として深く受け止めました。発起人、野見山暁治さん、佐藤忠良さんの作品をはじめ、各界各層の作品を一堂に拝見できたのは又とない収穫でした。戦後64年日本の若者が戦争で血を流すことがなかったのは九条の抑止力です。文末になりましたが横断的な会を纏めるのは並大抵のことではありません。この難題を見事にやりぬいた事務局の十滝歌喜さん、阿部正義さん、新美猛さん、百瀬邦孝さんはじめ事務に拘わったスタッフの皆様に心からお礼申し上げます。

(こうやましげる・画家 自由美術協会会員)