若桑みどり『戦争がつくる女性像 第二次世界大戦下の日本女性動員の視覚的プロパガンダ』私論  

藤重 典子

筑摩文庫本
筑摩文庫本
筑摩書房刊
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 私はこの本を放り出すところだった。スタンスの取りにくい書物だった。取り上げられ、論じられているイメージ画に猛烈に反発したのである。しかし、その反発こそが、私自身がそのイメージをどこか内心に隠し持っていることの証左ではないかと思いなおすのに多少の時間が必要だった。私は防衛線を張ってしまったのだ。

 冷静になって二度読んでみた。彼女のメッセージは私に届いたように思う。私の自分の中のファシズムとの闘いとの甘さを思い知らされた。それは彼女が十歳まで実際の戦争の中にいたことと、戦後十二年で生まれた私の人生史の違いもあるだろう。私は戦争を真の意味で知らず、彼女は日本ファシズムの最盛期とその終焉を曇りなき少女の目で見ていた。一方十歳の私は広島市の中心部に住んでいて、友だちと外遊びをしていて雨が降りだすと友だちとあわてて木の下に駆け込み、「雨には放射能が含まれていて、頭が禿げる」と言い交わしながら、髪についた雨のしずくを払い落していた。原爆投下から二十二年も経っていたのだが。

 

 1937年、日中戦争の開始の年に第一次近衛内閣が国民精神総動員運動を始めてから、政治体制だけでなく、マスメディアから音楽・文学・映画・絵画・漫画など思いつくかぎりのあらゆる分野が戦争に動員された。

 私が感心した若桑の視点は、大衆動員がカギであると思われるファシズム形成に関して、男性の一ランク下とされるいわば下等市民としての女性の精神動員に文字だけでなく、視覚として絵画まで使われそれを検討するというものである。彼女はそのために西洋絵画研究で磨かれた目で、家庭婦人にもっとも普及していた「主婦の友」のいわば通俗的表紙絵や挿絵を使い、歴史を追っていく。雑誌の記事は1936年1月から1945年の12月までである。

 

満洲国はすでに成立していたが、日中全面戦争の前年には、皇室崇拝が強調された。これはシモーヌ・ヴェイユのことばにあった「えらい者のために死ぬことは精神的苦痛がなくてすむ」ということであろうか。日中戦争が始まると、戦死者や戦傷者を名誉あるものと考えさせる記事が増え、さらに「国母」としての皇后の動員が注目される。それは傷病兵のための包帯を巻く姿である。傷が聖なるものとつながれたのだ。それからは看護婦の戦場動員や畑や工場で働く女性の姿が見え、戦局変化につれて求められる思想が絵画化される。求められる表情が描きこまれる。

ユニークな指摘だと思われたのは家事労働着である割烹着が外出にも使われるようになった割烹着=ユニフォーム論である。これこそ銃後の軍服なのだろう。

 

「靖国」の文字が見え始めるのは1937年の暮れあたりからである。37年8月から始まった第二次上海事変の激戦を物語っているのだろうか。

 太平洋戦争が開始してからは戦線拡大のため、育児はいうまでもなく、女性の農業・工業労働への参加の絵が極度に増える。背景は若桑が述べるように軍需工場への主婦動員である。

 しかしながら戦局は1942年から変化していく。6月にはミッドウェー海戦での敗北、43年には10月に学徒出陣が始まり、朝鮮人にも志願兵制度が適用され、台湾でも1942年に陸軍、1943年には海軍の志願兵制度が実施された。

とにかく欲しいのは戦闘要員である。そこに若桑は画題の変化を指摘する。働く女性と母と子の二種に絞られ、描かれる男の子の年齢が急上昇しているのである。

 

 冷静な著者でさえ、著書の中で一度「場外」の叫びをあげる。(こらえきれずに著者の独白。「まだこの上やれって言うのか、戦場に行くのはお前じゃないだろ」そう筆者の息子なら言うであろう!)それは1943年5月号の負傷した息子を見舞う母の絵である。絵は負傷した不幸な兵士と「誤解」されないように、母がもう一度回復して戦うようにと言い、息子の目には堅い再起の念が宿ると解説がついている。絵だけみると傷ついた息子と母のまろやかな視線の交わしあいにしかみえないのだが、戦争推進派にはそう見てほしくないのだろう。

 

 しかしながらこの侵略戦争の泥沼化に対抗する手段は芸術家にはなかったのだろうか。一つの可能性として彼女が指摘しているのは214頁の木下孝則の「白衣の母応召」である。母の顔に心配と憂い、子供の顔に悲しみを書き込んだ木下に若桑は「画家としての木下が、ここで軍国イデオロギーに勝っている」と評している。

 また168頁の父の無事を神社で祈る赤ん坊を抱いた母と娘、それに背中を向けて歩み去る背景の小さな兵士の背中にも、若桑は「戦意を盛り上げるのに失敗」と評する。私が見た限りでも相当に沈鬱な絵である。深読みすれば、この絵画に女性の悲しみと兵士の無関心を読みとることもできるだろう。

 

「文は人なり」というが、私はこの書に収録された女性のイメージ形成を目的とされた絵画群を見て、「絵も人なり」の思いを新たにした。私の感覚と若桑の絵に対する論評は、重なる部分が多いが、世代のせいか、私の未熟のせいか違っている部分もある。

 たとえば196頁の満州開拓移民の母と赤ん坊の表情である。こどもは「いかにも元気が良さそうで、母親も太っていて幸福そうである」と若桑は表するが、私には母も負われた赤ん坊もずるくにやついた悪魔的な顔にしか見えないのだが。そもそも血塗られた満州の土地を奪い、過酷な自然を偽って甘言で日本から移住させ、夫を徴兵された女性の顔に真の意味での幸福を描きこむことなどできないだろう。これはファシストが描いただまし絵にしか見えない。

 そういった素朴な個人的感想と、西洋絵画批評で磨き抜かれた若桑の感性との比較という点でもこの書は様々な読み方ができると思われる。

 

 思うにこのように偽られた情報を信じ、献身的に戦勝を祈っていた日本国民は多かったであろう。しかし夫や息子の死に名誉だけを感じる人間が多数派とはどうしても思われないのだ。その内心の悲しみを無表情に隠す歴史は悲しいものである。

 

末尾に付け加えられた敗戦後のアメリカ兵士に慈父を描きこんだ絵画を添えたことは、まあ、彼女なりの皮肉なのかユーモアなのかわからない。

「まとめ」に載せられたイタリアのプロパガンダ絵画との比較は興味深い。プロパガンダ絵画の水準の違いという若桑の指摘も鋭いが、受け手の問題もあるだろう。ポスターは教養ある富裕層から下層市民まですべてをターゲットにしなければならないという条件もあると思われる。

 

最後に私が疑いを持った事項を述べておきたい。情報革命によって、日本社会は均質化しつつあるが、東京のように女性の知識層が活躍し、ゲイがカムアウトしはじめる大都市とは対照的に女性議員の出馬さえ許さない農村さえ残る日本は、まだまだ重層的社会である。地域性によりフェミニズムが持つ意味も相当異なっているのだ。さらに社会で活躍し、自分の可能性を伸ばしたい女性もいれば、家庭婦人となって、いわゆるジェンダーの中でくつろぎたい女性もいる。私はフェミニズムが女性を多く大学教育の場に送り出した点、また朝鮮人従軍慰安婦問題などを大きく取り上げた点などは評価すべき事項と思っているが、近代思想としてのフェミニズムがややもすれば、貧富の差の拡大に伴い、女性間格差も増大しているという側面、あえていえば抑圧面ももちうるのではないかと思う。啓蒙者として自負する女性知識人は、主婦や女性の肉体労働者とどれほど対等な対話がもてるであろうか。

また「家父長制の物質的基盤とは男性による女性の労働力の支配」という記述も、家計経済の決定権を主婦が握り、稼ぎ手の収入を「夫のこづかい」の項目として渡すことも多い日本では、夫が経済権を握る欧米型とはやや違ったものになると思われる。

また、夫が自分の子孫を「産ませる」行為を、男による「子宮の領有」と呼び批判されているが、遺伝子レベルでは、子供は父母の半分ずつを受け継いでいる。出産は生物としてはあくまで対等な行為である。極論するなら、戦争中に女性は男性から自分の遺伝子を残すための精子を取り、戦場に追い出して死なせ、名誉の地位を得ていたとも言えるのではないだろうか。むろん若桑は「チアリーダー」としての女性の役割は十分に批判しているが、遺伝子レベルの側面も一言つけ加えたいように思う。

 また戦争を家父長制度の維持のため、と一元化する見方にもやや疑問を抱く。戦争の原因に対しては様々なアプローチがあるが、プラトンやマルサスなどの人間の欲求の際限なき拡大、自足する以上の資源を求めるという側面、食糧や資源の増加が、人口増加においつかないことなど、そちらのほうが要素として大きい可能性がある。中東において絶えぬ戦争は石油資源をめぐるものではないか。

 あえて言うならば、家父長制は歴史がそれを求めたから存在した社会秩序ではないかとも思われる。家内奴隷に似た嫁には男児さえ産めば、未来の姑という指定席が準備されていた。家父長制の抑圧面と保護面を冷静に考察し、加担者としての女性の自己を内省し、未来に向けた歩み寄りの道を模索していく必要があるのではないだろうか。それこそが家父長制の秘密の部屋に閉じ込められた、男性の優しさや愛情深さを解き放つ道であると思われる。          

                         (ふじしげのりこ・フリーライター)