美術運動とは

「美術運動を読む会」について        

宮田 徹也(みやたてつや・日本近代美術思想史研究)

 前史:私とJesty Justinが始めて逢ったのは、2006年3月、東京銀座・ギャラリー58における池田龍雄展ギャラリートークの二次会であった。ギャラリーの近くの飲み屋でJustinは一人で座っていた。話を聞けば当時シカゴ大学に在籍し、日本戦後美術の、特に1950年代の博士論文を書いているという。来日しては滞在を繰り返していた為、既に日本語は堪能であった。私は修士課程を明治美術研究で修了した後、日本戦後美術に移行、博士課程を諦め在野で進めていた時期だったので直ぐに意気投合し、当時Justinが始めていた研究会・AABAに参加した。その後も様々な勉強会に参加、Justinの九州派調査の同行などを通して、二人で研究を進めていった。ある日Justinに「「美術手帖」や「芸術新潮」はどこの図書館にもあるし参考文献として認知されているが「美術運動」は何故注目されていないのか」と聞かれて確かにその通りだと思った。私は日本美術会主催アンデパンダン展に足を運んだことがあった。知人の作家もいたのだが、特に万城目純のパフォーマンスを多く見ていたのだった。しかし日本美術会の事務局に知り合いはいなかった。2007年2月、Justinは運悪く展覧会の時期にアメリカで学会の発表があったので、私一人でアンデパンダン展に足を運んだ。全ての作品と向き合い、事務所へ行って「美術運動」の閲覧を申し込んだ。事務の山中さんが直ぐに対応してくれ、後日、来日したJustinと御茶ノ水の日本美術会の事務所を訪れたのだった。二人で話し合い、「美術運動」を全てデータ化し、隅々まで読もうと考えその旨を御願いしたところ、日本美術会の事務局は快く引き受けてくれた。一冊一冊スキャンしデータ化を行なったのは、Justinであった。Justinの滞在期限が近づいてきた。私は独自に「美術運動」の総目次を作成してJustinと日本美術会に渡し、Justinは日本美術会に「美術運動」のデータの配布許可を得て、アメリカへ帰っていった。


結成:2008年9月、Justinは別の奨学金を得て再び日本に一年間滞在した。その時Justinは真先に「「美術運動」の研究会を開こう」と私に提案した。Justinは誰に頼ることなく印刷会社にデータを持ち込んで資料集を作成し、これまで日本で培った人脈の中から研究会に興味があるメンバーを選出し、勧誘した。滞在期間が一年と短いため、当初は短期集中型、即ち二、三度読んで直ぐに解散する研究会の予定を立てたのだが、メンバーの興味と議論は尽きることなく、長期に亘る研究会継続ということになったのだった。


会員:前述したようにメンバーはJustinが急遽声をかけた者達であった為、研究会を秘密裡に行なうつもりは全くないものの、広く募集したわけではない。これから興味がある作家、研究者が参加を求めれば、受け入れたい。しかし結成したばかりで中心人物のJustinが帰国してしまったため、まだ研究会が安定していないことが現状である。現在、主に出席している会員を以下に記す。

足立元(東京芸術大学職員)/井口大介(美術家)/池上善彦(『現代思想』編集長)/甲斐繁人(柳瀬正夢研究会)/ Justy Justin(エール大学特別教員)/武居利史(府中市美術館学芸員)/友常勉(東京外語大学教員)/白凛(在日朝鮮人美術研究)/古川美佳(近現代韓国美術研究)/宮田徹也(日本近代美術思想史研究)/光田由里(松涛美術館学芸員)

 

記録:これまでの研究会の活動記録を以下に記す。

第一回 2009年3月3日 法政大学

第二回 3月12日 法政大学

第三回 4月6日 法政大学

第四回 4月23日 法政大学

第五回 5月8日 法政大学

第六回 5月29日 法政大学

第七回 7月17日 食事会

第八回 9月3日 東京藝術大学

第九回 10月26日 東京藝術大学

第十回 12月3日 東京外語大学本郷三丁目サテライト

 

内容:研究会は、会員が持つ知識を元にともかく「美術運動」を読み進めていこうということから始めた。Justinは2009年7月20日に全日本職場美術協議会のトークイヴェントパネラーを務め、同年目黒区美術館で開催された「‘文化’資源としての〈炭鉱〉展」(11月4日~12月27日)では企画委員としてカタログに論文を執筆し、11月21日にはトークイヴェントも行なった。そのJustinが研究会では主に問題提起する。甲斐は、柳瀬正夢研究会を1975年に立ち上げて戦後初の総合的「柳瀬正夢展没後30周年記念」を企画、「美術運動」(102/103合併号1976年7月)に随想「柳瀬正夢と戦後世代の美術史観」を発表、「柳瀬正夢展=反骨の精神と時代を見つめる眼」、「生誕100年記念展」など一連の柳瀬関連展の企画に参画、「柳瀬正夢研究の現段階と今日的意義―柳瀬正夢芸術の全貌解明への新しい展望」(『歴史評論520号 反戦と抵抗の画家―柳瀬正夢〈特集〉』歴史科学協議会編/校倉書房/1993年8月)や「『邯鄲夢枕』表紙装画の図像を読む」(『絵画修復報告 書物の修復―柳瀬正夢『邯鄲夢枕―』山領絵画修復工房編/2004年3月)などの論稿や研究誌「ねじ釘」を編集して柳瀬の研究を続け、その関連で終戦から50年代の民主的とされる美術運動におけるプロレタリア美術の継承のありようを調査し、1960年代の日本美術会の動向とアンデパンダン展を見続けているその視線と経験をメンバーに示唆してくれている。光田は学芸員として写真と戦後美術を専門的に研究するとともに、美術雑誌『美術手帖』等に寄稿する気鋭の美術批評家である。「『美術批評』(1952-1957)誌とその時代―「現代美術」と「現代美術批評」の成立」(富士ゼロックス/2006年)や「芸術・不在・日常」(『美術批評と戦後美術』美術評論家連盟編/ブリュッケ/2007年11月)のように調査・研究をふまえて論じる。武居は美術館において主に現代美術の展覧会や教育プログラムを手がけているが、「近代美術史への視座―戦後リアリズム論争の出発点」(『府中市美術館研究紀要3』1999年)、「戦後リアリズム論争の展開」(『同5』2001年)、「池田龍雄の一九五〇年代の絵画」(『同13』2009年)を発表している通り戦後美術、特にリアリズム論に詳しい。『戦争と美術 1937-1945』(国書刊行会/2008年1月)にも作品解説を掲載している足立は、「Chart&Chronology A-Chart of Japanese Modern Art 日本近現代美術チャート」(『美術手帖 特集 日本近現代美術史 1905-2005』美術出版社/2005年7月)や「近代日本絵画史年表」(『別冊太陽 日本のこころ(154)近代日本の画家たち―日本画・洋画 美の競演』平凡社/2008年8月)を記していることが示す通り、1930年代から60年代までの美術一般における幅広い知識から発言している。池上はJustinの「版画と版画運動」を含む『現代思想臨時増刊号 総特集―戦後民衆精神史』(青土社/2007年12月)を世に出し、自らも「DIALOGUE 世界は暴力であふれている―ネオ・リベラリズムとネオ・ノワール」(酒井隆史と共著『文芸 特集―なぜ人を殺さなくてはならないのか なぜ自分を殺してはいけないのか』河出書房新社/2000年冬)、「インタビュー 戦後日本のサークル運動―第三の空間を開く作業(特集 記録と運動)」(『季刊軍縮地球市民』明治大学軍縮平和研究所編/2008年冬号)などを記している。友常は日本思想史を専攻し、北関東版画運動の組織者であった鈴木賢二を中心に文化運動の研究をすすめている鈴木賢二研究会に所属している。著書に『始原と反復 本居宣長における言葉という問題』(三元社2007年)、「中上健次と戦後部落問題」(『現代思想』青土社/2001年9月)など、訳書に『チャイナ・ガールの一世紀』(三元社、2009年、共訳)がある。池上と友常が1950年代の政治動向を詳らかに教示し、美術的思考に着実な歴史観を備えてくれる。白の研究は「在日朝鮮文学芸術家同盟結成50周年記念美術展覧会―在日朝鮮人美術の基礎を築いた1世、2世の歩みを具体的な作品と共に振り返る―」(王子・北とぴあ/2009年10月25~26日)に収斂し、全和凰、金昌徳ら凡そ20作家の作品45点を展示した。開催主旨の一部を引用する。「本展覧会は、在日朝鮮文学芸術家同盟の結成50周年記念展覧会であり、ここに属し在日朝鮮人美術運動の基礎を築いた美術家たちの歩みを振り返るものです。本展は在日朝鮮文学芸術家同盟に長らく属し、その発展に大きな功績を残した美術家の作品を集めました」。古川美佳は、「北朝鮮の美術―〈神話〉の生産、描かれつづける〈戦争〉」(『美術手帖』美術出版社/2003年6月号)、「民主化運動、その始まりには文化があった」(『世界』岩波書店/2007年11月号)、「韓国の‘民衆美術’」(『大航海』新書館/2009No.70)等の論考やインタビューが示すように現代韓国美術の専門家であり、韓国作家の紹介や市民運動との連携を図っている。「美術運動」には、数多く半島出身の作家の作品が登場する。白と古川にとって、これらの作品を解明することが一つの課題となっている。ドイツに留学し、1980年代初頭から作家活動を開始した井口はインスタレーションを得意とする。社会動向にも目を向け、古川が「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」と連動して企画した「「靖国」の闇に分け入って―アートで表現する YASUKUNI―」展(2008年8月4日~11日/一ツ橋画廊)にも出品し、その後、「伝えられ、伝えること・・・広島第二県女二年西組、関千枝子さんと共に」と題する個展(2008年10月18日~11月8日、連続企画「21世紀の東アジア文化論」vol.3、GALLERY MAKI )等も行ない、古川らと共に2008年秋には戦後芸術研究会を立ち上げた。井口の自己のスタンスからの発言は、切実さが強調される。宮田も戦後芸術研究会のメンバーも名を連ねた「沖縄県立美術館検閲抗議の会」が主催した、「「アトミックサンシャイン」沖縄展の検閲に抗議する美術」展(2009年7月20日~8月1日/Gallery MAKI)のシンポジウム「アトミックサンシャイン」沖縄展の検閲に抗議する!―09沖縄・九条・天皇・検閲・表現をめぐって」(7月18日/日本教育会館)にパネラーとして参加した者の一人である。『池田龍雄画集』(沖積舎/2006年)の参考文献を編纂したように、1950年代の美術の動向を探る立場から発言している。

 

現在:月一度の研究会開催を目指している。2009年8月に帰国したJustinはインターネットを使用しライブで参加している。

 

今後:「美術運動」を予定の1960年まで読み終えた後、「BBBB」の研究を進め、日本美術会の会報、アンデパンダン展の出品目録などを読んで更に「美術運動」への理解を深めると共に、同時代の他の団体の出版物、前衛美術会、制作者懇談会などの資料と照らし合わせることを視野に入れ、「美術運動を読む会」の会報、研究論文集の発行も考えている。全く立場が異なるメンバーによる「美術運動」の見解が、ここで明らかになる。いずれ、ゲストも呼びたいところだ。

 このように、「美術運動を読む会」は始まったばかりなのである。

 

(みやたてつや・日本近代美術思想史研究)